東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から11日で10年。構内の除染や線量低減が進む一方、溶融核燃料(デブリ)の取り出し、汚染水対策といった難題が依然立ちはだかり、手探りの廃炉作業が続く。公益社団法人日本記者クラブ(東京)の取材団の一員として5日、原発構内に入り、10年で変わったもの、変わらないものを見た。

3号機原子炉建屋の壁。10年前の津波による無数の傷が残る=5日午後、福島県大熊町(代表撮影)

4号機原子炉建屋近くで取材する記者たち=5日午後、福島県大熊町(代表撮影)

1~4号機原子炉建屋を望む高台で取材する記者たち=5日午後、福島県大熊町(代表撮影)

福島第1原発の施設配置

3号機原子炉建屋の壁。10年前の津波による無数の傷が残る=5日午後、福島県大熊町(代表撮影) 4号機原子炉建屋近くで取材する記者たち=5日午後、福島県大熊町(代表撮影) 1~4号機原子炉建屋を望む高台で取材する記者たち=5日午後、福島県大熊町(代表撮影) 福島第1原発の施設配置

 福島第1原発に向かう車窓から、看板が見えた。

 「ここから帰還困難区域」。人が暮らす空気はない。5日午前11時半すぎ、行き交うのは積み荷を載せたトラックやバンばかりだ。

 取材団は新聞社やテレビ局の記者など5人。新型コロナウイルス感染防止のため、事前にPCR検査を受けた上での取材となった。

■「放射線」を実感

 原発入構にはルールがある。まず係員に運転免許証を示し、空港のように金属探知ゲートをくぐる。専用の装置で体内の放射線量を計測。使い捨ての靴下を履き、私服の上に白いベストを羽織り、胸ポケットに個人線量計を入れる。計約40分。入るだけで一苦労だ。

 敷地面積は約350万平方メートル。東西1・5キロ、南北3キロ。今は建屋周辺などを除く約96%のエリアに防護服なしで入れる。不織布マスクは着けるが、新型コロナ対策のためだ。

 視察用のバスに乗り、1~4号機原子炉建屋の西側にある高台に向かった。

 正面に見える1号機までの距離は120メートルほど。水素爆発で屋根は吹き飛び、ひしゃげた鉄骨はむき出しのまま。赤茶けたさびが鮮明に見える。内部には、使用済み核燃料プールに入った燃料がまだ残っている。

 「ピー」。個人線量計の大きな警報が鳴り、累積20マイクロシーベルトを示した。胸のエックス線検査1回の半分ほど。目に見えない放射線の存在を改めて感じた。

 ヘルメットと防じんマスクなどを着けて2、3号機の間の通りに立つ。放射線量が高く、3年前は立ち入れなかった場所だ。

 高さ50メートルの3号機建屋を見上げる。2月末、廃炉への主要課題である使用済み核燃料取り出しを完了したとの報道が記憶に新しい。

■1日4千人働く

 目線を下げると、北側にあるエメラルドグリーンの壁が目立っている。放射性物質の飛散防止剤の色という。何本も残る爪跡のような傷が、10年前の津波の破壊力を物語っていた。

 海側に少し進むと、東電の担当者が線量測定器を壁に向けた。毎時200マイクロシーベルト。宇都宮市の平均的な空間放射線量率0.04マイクロシーベルトの約5千倍だ。「長くいない方がいいですね」。足早にバスに戻った。

 構内を約5時間巡り、人の多さに驚いた。現場に立つ作業員、仕事を終え装備を外す作業員、休憩所で食事を楽しむ人-。すれ違うと「お疲れさまです」と声が飛び、せわしない。原発に向かう車窓から見た荒涼とした景色とは対照的だ。

 東電社員や協力企業の従業員らは1日当たり4千人前後が働くという。その全員が目指す廃炉と復興の果たされる日が、少しでも早く訪れてほしいと願った。