帰還困難区域の周辺では線量計の数値が上昇した=3日午後2時35分、福島県浪江町

福島第1原発周辺の避難指示区域

帰還困難区域の周辺では線量計の数値が上昇した=3日午後2時35分、福島県浪江町 福島第1原発周辺の避難指示区域

 廃炉作業が続く東京電力福島第1原発から最も近いところで約4キロに位置する福島県浪江町。2017年3月、町全域に出されていた避難指示が一部で解除、約6年ぶりに人が住めるようになった。

◇東日本大震災10年特集

 町内へ行くのは、全町避難が続いていた5年前に取材で訪れて以来。人が再び暮らすようになった古里へ初めて足を運んだ。

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 浪江インターチェンジで常磐道を下りた。この辺りは原則立ち入り禁止の帰還困難区域。決められた道路だけが通行できる。

 近くに母の実家がある。家はすでに取り壊したと聞いていた。行ってみると、何もなかった。数え切れないほど遊びに行った場所。本当にこの場所にあの家があっただろうかと自分の記憶を疑いたくなるほど、かつての面影が消えていた。

 周囲の民家の敷地入り口にはバリケードが張られていた。市街地へと車を走らせた。コンビニだ。車が停まり、人影が見えた。いつの間にか避難指示が解除になった区域に入っていた。

 避難指示が解除されているのは町面積の約2割。残る約8割は帰還困難区域。ほとんどの場所で除染が手つかずで、避難指示解除の見通しは立っていない。

 家や建物がいくつも取り壊されていた。目に入る風景は、高校時代まで過ごした当時の記憶とだいぶ違った。

 道路ではトラックの往来が目立つ。汚染土を運んでいたり、建物の解体工事作業を進めていたり。

 母校・浪江小へ向かう。ここも取り壊しが決まっている。近くにあった文房具店も、通っていたそろばん塾も取り壊されていた。学校帰りに寄った友達の家も、ない。

 帰還困難区域内の実家へと続く道をたどった。毎時0.16マイクロシーベルト、0.23、0.46-。徐々に手元の線量計の数値が大きくなった。「この先帰還困難区域につき通行制限中ここで迂回(うかい)してください」。道路脇には5年前に来たときと同じ文言の看板が立て掛けられていた。来た道を引き返した。

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 震災時、浪江町には約2万1千人が暮らしていた。今年2月末現在、町内居住者は1596人。町に住民票がある人は1万6650人。今も多くの人は避難生活を続けている。

 震災前、生まれ育ったこの場所を「何もない」と思っていた。原発事故があったことで、自分にとっては「何もかもがある場所」だったと気付かされた。生まれ育った家、慣れ親しんだ土地、山や海。

 今、町には生活の営みが戻った。避難先から町へ帰った人、新たに移住した人。復興へ向け、着実に歩みが進んでいる。「何もかも」がなくなったわけではない。今あるものを目に焼き付けよう。そう強く思った。