「茎わかめ」用のワカメを一次加工する岩手大槌工場=岩手県大槌町(壮関提供)

オンラインでインタビューに応じる菅原マネージャー=2日午後

「茎わかめ」用のワカメを一次加工する岩手大槌工場=岩手県大槌町(壮関提供) オンラインでインタビューに応じる菅原マネージャー=2日午後

 「茎わかめ」など素材菓子製造の壮関(栃木県矢板市こぶし台、板山健一(いたやまけんいち)社長)。岩手県大槌町に進出し、東日本大震災時、津波の被害が大きかった同町に「岩手大槌工場」を構えた。地元従業員は当初の2倍近い54人に増え、地元に定着しつつある。東日本大震災から間もなく10年。被災者でもある従業員は会社と共に「明日への確かな歩み」を始めている。

 同社は震災直後、津波で三陸産ワカメが全滅になり、存続の危機に立たされた。命運を懸け、中国・大連でのワカメ確保に奔走し、何とか原料確保に目鼻を付けると、茎わかめの需要が伸び、本社工場の生産能力が限界になっていた。

 工場進出のきっかけは2014年1月、大槌町役場からの1本の電話だった。工場の進出により雇用創出、町復興に力を貸してほしいとの内容だった。板山社長は「当時の関雅樹(せきまさき)社長が現地を見て即決した。今思えば運命的な電話だった」と振り返る。

 工場は現地の従業員30人弱を雇用し、16年6月に操業を始めた。町出身でマネージャーの菅原秀一(すがわらしゅういち)さん(45)は「震災から10年と言われ、長いようだが、あっという間だった」と語る。

 発災時は宮城県の自動車部品工場に勤めていた。一報を受け、会社が大槌町に戻ることを促してくれたが、車で帰るにも給油所は閉鎖されていた。会社の仲間がガソリンを持ち寄ってくれたおかげでようやく帰れた。しかし妹とめい2人が津波の犠牲になっていた。

 両親の面倒を見るため町に戻り、15年5月、壮関に入社した。「悲しみは各自あったが、皆それを乗り越えスタートした」。本社工場で約1年の研修後、ものづくりの現場を知る経験からマネージャーに抜てきされた。

 当初はワカメの塩抜きや味付けの1次加工だけだったが、設備を増やして包装ラインまで整備し、完成品の出荷までできるようになった。菅原さんは「バイヤーの工場見学などが増え、従業員は自ら作る製品が全国のコンビニエンスストアで売られていることを喜んでいる」と目を細める。

 「この工場の製品はわれわれの大きな励み」とも話すように、茎わかめは現在、町のふるさと納税返礼品にもなっている。