自宅近くの畑で野菜を育てる松本さん。「前向きに生きてきた」と、この10年間を振り返る=2月上旬、鹿沼市上殿町

 自宅居間には、生まれ育った福島県大熊町の家の写真を飾っている。鹿沼市上殿町、松本光清(まつもとこうせい)さん(72)は居間のこたつに腰を下ろし、窓の外を眺めた。

 「鹿沼もいいところ。でも今も、ふと、自分はなぜここにいないといけないんだろうと思うことがある。まだ夢の世界にいるようだ」

 地元・大熊町の家は15代続く専業農家。梨などの果物や米を育てていた。2011年3月11日、梨畑にいる時に地震が起きた。その日の夜。母が入居していた町内の高齢者施設に家族で集まっていると、「息をしている人はみんな避難しろ」という声が聞こえた。避難生活が始まった。

 3月19日、三男が仕事の関係で住んでいた縁で鹿沼市へ。高齢の母の体調が悪くなり、「仮の家」でなく持ち家から送り出そうと新居を購入、15年から暮らしている。母は19年に旅立った。

 東京電力福島第1原発から約3・5キロの距離にあった大熊町の自宅や田んぼ、畑は15年、国に売却した。福島県内で出た汚染土などを保管する「中間貯蔵施設」の区域となったためだ。一時帰宅した時、自宅の神棚の前で頭を下げた。「先祖様も分かってください」

 代々受け継いできた土地を自分の代で手放す苦しさ。事故前まで平穏に暮らしていた大切な場所に汚染土が運び込まれる悔しさ。でも、県内各地に仮置きされた除染廃棄物は、どこかで受け入れないといけない。断腸の思いだった。

 丹精込めて世話をしていた梨畑は更地になった。それを見た時は「なんでこんなことに」と涙がこぼれた。

 春には受粉や摘果、8月下旬以降に収穫、冬には剪定(せんてい)-。梨畑での作業を時季ごとに思い出す。そうして1年、1年が過ぎた。「もう10年たったのか」と感慨深い様子で言葉をつなぐ。「生きていくための試練の連続だった。つらかったけど、鹿沼に来て良かった」。趣味のソフトボール仲間との出会い。次にまた原発で何かあってもすぐ避難せずに済む安心感。ここでの生活を前向きに捉えている。

 今年の3月11日は鹿沼市内で講演する。「誰かが経験を伝えないと風化していく。伝えていけば教訓として残る」。そう信じる。

 古里への思いは年々強くなっている。原発事故で大熊町全域に出た避難指示は19年4月、一部で解除。だが原則立ち入り禁止の帰還困難区域は今も残る。今後、復興が進み、見慣れた景色から変化していく町の姿を「きちんと目に焼き付けておきたい」。大熊町には足を運び続けるつもりだ。