寒さ、空腹、不安、恐怖…過酷な環境実感 陸前高田市で下野新聞記者体験ルポ

 東日本大震災は11日で発生から7年。大震災後に最大約200人が身を寄せた岩手県陸前高田市スポーツドームで避難所生活を体験した。寒さ、空腹、不安、恐怖…。「こんなにつらいんだ。実際はもっと…」。避難所で一夜を明かし、7年前の被災者に思いを巡らせながら、災害への備えの必要性や報道の果たすべき役割、被災者との向き合い方を学んだ。

 大震災の発生と同時刻の午後2時46分。広いドームに緊急地震速報の警報音がけたたましく鳴り響いた。前方の大型画面に、街をのみ込む津波の映像が繰り返し映し出された。不安と恐怖に駆られた。

 地元新聞の岩手日報社や陸前高田市などでつくる実行委員会が同市内で主催した研修会「いざ・トレ」内で、2月14、15日に行われた。全国から集まった地方紙記者や自治体職員ら約90人はその日、疑似避難者となった。

 まずはカレンダーの裏面を使い、避難者名簿作り。避難所入り口などに掲示し、安否確認の要となる。ドームで当時、避難所運営に携わった会社役員菅野修(かんのおさむ)さん(64)は「家族や親戚への伝言、必要な物資を伝える手段として活用できる」と説明した。

 日が沈むと寒さは一段と増した。気温は0・5度。7年前の今頃も夜から朝にかけ氷点下に冷え込んでいた。夕食は屋外で、一斗缶に炭火を起こしウインナーやナゲットなどを焼いた。主食はなし。十分とは言い難い量を分け合った。

 同10時半の消灯を前にトイレの手洗い場で洗顔。お湯は出ない。ドーム内にテントを組み立て、寝袋と毛布を抱えて駆け込んだ。床は硬く、底冷えがこたえる。何度も目を覚まし、起床時刻の午前6時を迎えた。

 朝食のパンをかじりながら見回すと、寝不足の顔ばかり。昼になり、陸上自衛隊岩手駐屯地の隊員が振る舞ってくれた温かい豚汁が疲労を癒やしてくれた。避難所体験は午後3時に終了。正直、ほっとした。

 だが、「被災者たちは着の身着のまま、さらに過酷な環境で長期の生活を強いられた」と当時を知る岩手日報社の太田代剛(おおたしろたけし)報道部次長(45)。報道に携わる者として、被災者に寄り添い、教訓を胸に刻み、次なる災害に備えたい。