宇都宮城の表の入り口に当たる「大手門跡」

三日月堀があった地域。堀の形が道路のカーブに影響している

武家屋敷があった通り。道が途中で曲がっていて、奥まで見通すのが難しい

宇都宮城の表の入り口に当たる「大手門跡」 三日月堀があった地域。堀の形が道路のカーブに影響している 武家屋敷があった通り。道が途中で曲がっていて、奥まで見通すのが難しい

 かつて街なかに築かれた「宇都宮城」。江戸時代は約1キロ四方の広さを誇り、現在の市役所や東武宇都宮駅も城内だったとされる。「普段歩いている場所が城の中だったなんて、不思議だなぁ~」。城に興味が湧いた記者。宇都宮城に詳しい市民の力を借り、現在の街からかつての城の姿を探った。

 歴史を教えてくれたのは、市文化財ボランティア協議会の菊地絹子(きくちきぬこ)副会長(64)。宇都宮城を中心とした街の文化財、歴史案内を10年続けているベテランだ。菊地さんは「1620年、28代城主本多正純(ほんだまさずみ)が城郭を大改修しました。それが今の街なかの土台になったとされています」と話す。

 ■カーブする理由

 まず向かったのは、シンボルロードにある「大手門跡」。宇都宮城の表の入り口に当たる。将軍家による日光社参の際、宇都宮城に入る行列はオリオンスクエア付近の「広小路」で列を直し、大手門から通ったとされている。

 そのまま南東に向かって歩くと、中央小南側のカーブした道に出た。宇都宮まちづくり推進機構が制作した「宇都宮“江戸時代”歩き地図」を見ると、付近には「三日月堀」と湾曲した堀がある。深さ8メートルと防衛強化のために作られ、「堀の形が今の道路にも影響している」と菊地さん。感慨深いなぁ。

 中世の名門・宇都宮氏も忘れてはいけない。菊地さんは「宇都宮氏は源頼朝(みなもとのよりとも)とつながりが深く、どんどん力を付けて城も格が上がった。だが、江戸時代に比べて宇都宮氏時代の城の情報は少ないんです」と打ち明ける。史料が見つかれば、驚くような歴史があるかもしれないなぁ…。