益子町が茨城県笠間市と共同申請し認定された日本遺産「かさましこ ~兄弟産地が紡ぐ“焼き物語”~」。ストーリーの主要な構成文化財とともに、地域資源の魅力などを紹介する。

1908年に建てられたとされる工場

 三方を里山に囲まれた益子焼最古の窯元「根古屋(ねごや)窯」に穏やかな風が吹き込む。立春の3日午前、南東向きの工場(こうば)には山の上から柔らかな日差しが注いだ。時の流れをゆっくりと感じさせる雰囲気に思わず目をつむる。歴代の陶工たちが作陶に励む姿が浮かんだ。

Web写真館に別カットの写真

 江戸時代後期の1852(嘉永5)年、笠間市箱田の久野(くの)陶園で陶芸を学んだ大塚啓三郎(おおつかけいざぶろう)(1828~76年)がこの地で製陶業を始めた。益子焼の始まりとされ、啓三郎が「陶祖」と言われるゆえんだ。6代目当主の大塚久男(ひさお)さん(70)は「久野陶園で相当技術や知識を学んだのかもしれない」とゼロから窯を築いた啓三郎に思いをはせた。

 久男さんらが使う工場は、1908年に陶器同業組合伝習所の模範工場として建てられたとされる。当時作られた皿などが今も残されているという。

 「昔ながらの益子焼と今の益子焼を何とか融合できないかと考えて取り組んでいる」と久男さん。笠間から続く伝統を生かしつつ、次の世代にも受け入れられる作品づくりを模索している。

メモ 益子町益子864。工場では見学や一部作品の販売を行っているが、訪問する際は事前に電話予約が必要。(問)0285・72・2248。

ミニ知識 大塚啓三郎は作陶を始めたのみならず、後継者の育成に関する仕法の設定についての意見書を藩に提出するなど益子の製陶業の発展に尽くした。西明寺(益子町益子4469)には「陶師大塚氏碑銘」、鹿島神社(同1685の1)には「陶祖大塚翁頌徳碑」が立つ。