徳川光圀が那須国造碑の存在を知るきっかけになった「那須記」(手前)など12点が展示されている民俗企画展

 【大田原】市歴史民俗資料館主催の民俗企画展「那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)をめぐる人々」が、隣接する市なす風土記の丘湯津上資料館で開かれている。徳川光圀(とくがわみつくに)が命じた同碑の調査は、侍塚古墳の発掘・保護にも発展。日本最初の考古学的発掘調査となり、湯津上地区は「日本考古学発祥の地」と言われる。光圀が同碑の存在を知った「那須記」の原本をはじめ関係資料の展示を通じ、調査・保護の概要や関わった人々を紹介している。

 同碑は700年頃に建立され、那須地域を支配していた那須直韋提(なすのあたいいで)の業績が刻まれている。江戸時代前期の1676年、僧侶が草むらで古碑を発見し、那須郡武茂郷(現・那珂川町馬頭)の庄屋大金重貞(おおがねしげさだ)に伝え、重貞は調査結果を「那須記」に記した。

 光圀は83年、水戸領の同郷を巡視。重貞から「那須記」を献上され、古碑の価値を認め、ドラマ「水戸黄門」の「助さん」のモデルとされる佐々介三郎宗淳(さっさすけさぶろうむねきよ)に碑主の解明と古碑保護を命じ、現地責任者の重貞の指揮の下、調査と碑堂の建立をした。古碑が古墳の上にあった可能性を考え、上・下侍塚古墳の発掘調査も行い、遺物を絵図に取って埋め戻し、松を植え保護した。

 同碑は笠石(かさいし)神社のご神体として祭られ、国宝に指定。同古墳は国史跡に指定され、下侍塚古墳は「日本一美しい古墳」と称される。