3歳頃の卓郎さん(左)と2歳上の兄

 芳博さん お兄ちゃんが学童野球をやっていた影響で、小学3年の時に学童野球を始めました。4年の時にユニホームをもらって喜んでいました。一生懸命やっていて、5年でキャッチャーで4番。みんなが打てない時に打ってくれると頼りにされていました。

 子どもたちが野球の練習ができるようにと庭にバックネットを張りました。キャッチボールもよく一緒にやりました。

 トシさん 習い事は何もしませんでした。勉強は得意ではなかったので、冬休みの習字の宿題は1枚書いて終わりというような子でした。虫捕りやキノコ採りをしたり、川で釣りをしたり自然の中で遊んでいました。たこ揚げは今も帰ってくると、子どもとやっていますね。

 私たちは家族の時間を大切にしていました。ばあちゃんが作った夕食は家族みんなで食べ、私たち夫婦は子どもの前ではけんかはしないと決めていました。休日はショッピングセンターや千本松牧場、宇都宮動物園などに出掛けました。

 芳博さん 漫才の道に行くとは思っていませんでしたが、思い返すと夕方の漫才番組、加藤茶(かとうちゃ)さんと志村(しむら)けんさんの番組などテレビ番組を見ていました。中学生になると、文化祭で友達とコントを披露しました。床屋さんのネタでウケていました。

小学校の卒業式で記念撮影をした卓郎さん(左)と芳博さん

 トシさん 高校では山岳部に入りました。周りの子がやめていき、「やめたい」と言ったことがありました。でも「やめたら、何も残らないよ」と話したら続きました。今、山の仕事を頂くことがあるようで、この時頑張ってやめなくて良かったと思います。

 芳博さん 休み時間は同級生だった相方の福田(ふくだ)(薫(かおる))君とコントの練習をしていたようです。高校3年の時、福田君と素人漫才のテレビ番組に出ました。「かっこいい」と褒められて調子に乗ったのでしょう。これが漫才師を目指すきっかけになったと思います。

 トシさん 大学4年の時に「就職活動をしに来たら」と話したら、「漫才師になりたい」と手紙をもらいびっくりしました。でも親としては反対はできない、見守るしかないと思いました。サラリーマンになってうまくいかなかったら責任を持てませんし。

 子育ての時期はあっという間でした。忙しくても、親はいつも子どものことを心配し、子どものために生きているようなものです。仕事で夕食は作れず、「お母さんの味」と聞くと何もしてやれなかったとドキッとします。「これを食べるとお母さんを思い出す」というようなことをやってあげたかったなと、今すごく思います。