林道をまたぐ美しいアーチの「行田川供橋」。上には左右に長倉線の路盤跡が通っている=24日午前、茂木町小井戸

県道をまたぐコンクリート橋「後郷供橋」の上を延びる長倉線の路盤跡=24日午前、茂木町小井戸

林道をまたぐ美しいアーチの「行田川供橋」。上には左右に長倉線の路盤跡が通っている=24日午前、茂木町小井戸 県道をまたぐコンクリート橋「後郷供橋」の上を延びる長倉線の路盤跡=24日午前、茂木町小井戸

 未成線-。そう呼ばれる世に出ることなく消えた幻の鉄路の遺構を、観光資源として現代によみがえらせる取り組みが、栃木県茂木町で始まった。鉄路の名は「長倉線」。現在の茂木駅からさらに約6キロ北東に延びるはずが、開通目前で戦争の混乱に遭い、列車が走ることはなかった。里山を縫って延びる路盤の跡やコンクリート橋、トンネルまで良好な状態で残る。町は真岡線全線開業から100年の12月15日、全国の鉄道ファン向けに実施する初の無料モニターツアーを仕掛けた。

 「見てくださいよ、このコンクリート。きのう木枠を外したみたい」

 町中心部から少し外れた場所に残る「行田川供橋(なめだがわきょうきょう)」。茂木町商工観光課の滝田隆(たきたたかし)課長(52)は約80年前に完成した長倉線のアーチ型コンクリート橋内部を、弾んだ声で指さした。「未成線の遺構がこんなに多く残る所はないそうです」。熱い鉄道ファンでもある滝田課長が、ツアーの発案者だ。

 水戸-宇都宮間を結ぶ鉄道の一環として位置付け、茨城県常陸大宮市長倉まで「長倉線」の建設が始まったのは1937年。同町河井の「下野中川停車場」の駅舎など全線の半分で鉄道施設が完成したが、戦争の影響で計画は放棄された。茂木駅から北側へはレールが敷かれなかったらしい。

 施設の一部は戦後失われたが、町郊外のコンクリート橋や大峯山トンネル(長さ180メートル)などの遺構が各所に残る。「廃線跡」人気に続き「未成線」に注目する動きもあるといい、町は観光庁の「誘客多角化等のための魅力的な滞在コンテンツ造成事業」実証事業に応募して採択を受け、ワンデーツアーの観光事業化を目指す。

 12月15、21の両日には茂木駅から4時間余りかけて6キロを歩くツアーをJTBの「幻の“長倉線”を歩く! 茂木町モニターツアー」(各20人)として、30日まで参加者を募っている。

 滝田課長は長倉線の実像を示す記録が少ない中、各所に足を運んで取材。約20ページのガイドブック作成に精を出す。「調べるうちに夢中になった。ダイヤの原石」。すっかり長倉線の魅力にはまっているという。