【那須雪崩事故】自責の念、恐怖心越え「役立ちたい」再び前へ 生還の大田原高山岳部員

 那須町湯本の国有林で3月、登山講習会中の大田原高の生徒、教員計8人が死亡し、他校も含め40人が重軽傷を負った雪崩事故。犠牲者と同じ隊列にいて救助された大田原高山岳部2年の男子生徒(16)は仲間を救えなかった自責の念、山への恐怖心にさいなまれながら、初盆に8人の自宅を訪ね思い出話や事故の状況を遺族に語り伝えるなど、生還した自分にできることを探し前を向こうとしている。「少しでも遺族の役に立ちたい」。事故は27日で発生から5カ月を迎える。

 生徒は当時、14人でつくる1班の中央付近にいた。7~8メートル前の雪面に「亀裂が横に入るのが見えた」。直後、足元がずれたと感じた。後方に何回も転がり、木に打ち付けられて雪に埋まった。雪で全身が押しつぶされ「苦しくて息もできなかった」。口の周りの雪をなめて溶かすなどして、辛うじて呼吸を確保した。

 約1時間後、他校の教員に救助され、自らも救出作業に加わった。懸命に掘り出した仲間に、脈動は感じられない。犠牲者のうち6人を掘り出したところで、救助隊員が到着した。

 あれから5カ月。凍傷は癒えたが「自分は助かったのに、仲間を救えなかった」との悔いは消えない。「山が怖い」。事故後、一度も山には登っていない。

 一方で時がたつにつれ、事故を振り返れるようにもなった。迎え盆の13日には現場近くの献花台に足を運んだ。「大きな事故があったけれど、山はいつも通りに見えた」。14日は遺族を訪ねて回った。自責の念を吐露すると「感じなくていい」と慰められた。

 5カ月前、事故は「一番の親友」を奪った。犠牲になった同級生の佐藤宏祐(さとうこうすけ)さん=当時(16)=は学童野球で主将と副主将、ガンダムや模型好きの趣味も一緒。山岳部には佐藤さんに誘われて入った。事故があった講習会は同じテントで事故当日の朝食も隣同士。下山したら一緒に模型の塗装を楽しむ約束は、二度と果たせなくなった。

 代わりに事故後、模型の戦車を2カ月半かけて組み立てた。佐藤さんが生前、欲しがっていた「チャーチルMk(マーク)Ⅷ」。「どうしたら宏祐は喜ぶかな」。笑顔を想像しながら細部まで趣向を凝らし、完成品を初盆の祭壇に供えた。