■大田原・黒羽観光やな■

(大田原市黒羽向町の黒羽観光やな。左は19年10月17日午後2時10分、右は20年10月5日午後0時15分)

 濁流にのまれた施設は、骨組みと屋根だけの状態だった。大田原市黒羽向町の那珂川河川敷にある「黒羽観光やな」。1年前の10月13日未明、駆け付けた松浦節(まつうらみさお)常務理事(79)は立ち尽くした。「常夜灯に照らされた、あの無残な姿は忘れられない」

 約2千万円かけて施設を改修した。例年通り5月開業を目指したが、新型コロナウイルスの影響で紆余(うよ)曲折。2カ月後の7月、やな本体の架設は見送り、ようやく飲食のみで再開した。

 現在は客席を半減するなど、感染防止策の下で営業中。昼時には次々と客が来店し、塩焼きや釜飯などのアユ料理を楽しんでいる。松浦常務理事は「売り上げは前年の7割ほどになりそう。皆さんの支えがありがたい」と表情を緩めた。

 今季は11月3日まで。当面は現在地で経営の安定を図り、将来は水害対策として高台移転も検討する。

■鹿沼・粟野地区■

(鹿沼市口粟野の田んぼ。左は19年10月13日午前6時25分、右は20年10月5日午前)

 1年前の10月13日早朝。県道鹿沼足尾線の柳橋を渡って旧粟野町に入った途端、道路には流木、周辺の田んぼは水没し、土砂が入り込んだ住宅が続いていた。

 鹿沼市の粟野地区は粟野川、思川の合流地点付近で流れが堤防を越える越水が相次いだ。下流の天満橋から柳橋の約1キロ間で思川右岸3カ所の堤防が決壊し、口粟野、久野など一帯に濁流が流れた。「昭和13(1938)年の台風以来」と古老。「堤防があと1メートル高ければ」と話す人もいる。

 柳橋西側に住む斎藤弘(さいとうひろし)さん(59)方は床上1メートルまで水が押し寄せ、敷地半分の土砂が流出、車2台は思川に流れた。現状を「堤防は土のうが積まれただけの仮復旧。全てに行政の対応が遅すぎる」と言い切った。

 水没した田んぼの一部は今年耕作できなかったが、来年の作付けに間に合わせるため今後、土の補充など本格的な復旧作業に入る。

■小山・杣井木川流域■

(小山市中里の杣井木川流域。左は19年10月13日午前8時30分、右は20年10月7日午前8時30分)

 合流する永野川と巴波(うずま)川の堤防に挟まれた一帯が「湖」と化した小山市中里の田畑。永野川に注ぐ杣井木(そまいき)川があふれた。2015年の関東・東北豪雨でも同様に被災した。

 「50年に1度と言われた大雨が4年後にまた来た。オリンピックじゃないだろって」。近くで農業を営む40代男性は皮肉交じりに振り返る。自宅も再び床上浸水し、今も修繕できていない部屋が残る。新米も水浸しになった。「台風が来るたびに覚悟するしかない」

 杣井木川流域では62軒が浸水した。県は21年度末の完成を目指し、杣井木川排水機場のポンプ増設工事を進めている。排水能力は現在の毎秒7トンから12トンに増強される計画だ。

 「集団移転ができればしたい」と本心を打ち明ける男性。「できないなら、水害が起きないようにしてほしい。そのために作った排水機場なんだから」

■宇都宮・下小池町■

(宇都宮市下小池町の神社敷地内。左は19年10月21日午後3時15分、右は20年10月5日午後1時45分)

 重機で掘り起こされた土を、数台のトラックが次々と運び出す。大規模な土石流に見舞われた宇都宮市下小池町の高龗(たかお)神社。被災現場では同様の被害を防ぐ砂防堰堤(えんてい)の建設が進む。

 土石流は雷電山の東斜面で起きた。長さ400メートル以上にわたって土砂が流れ、境内の祭器庫や周辺民家をのみ込んだ。1年がたった今でも、壊れた住宅や集会所が残されたままだ。同神社宮司の多田民男(ただたみお)さん(73)は「泥と倒木の量がすさまじかった」と振り返る。

 周囲の5世帯11人には、現在も避難勧告が発令されている。市によると、勧告は災害対策工事が終わるまで継続するという。

 地域では災害を契機に、防災マップを作り直した。「災害が少ない地域だったけど、いつ同じ事が起きてもおかしくない」。マップの見直し作業にも関わった多田さんは、強く実感している。