平安時代末期の源平・屋島の合戦(1185年)で扇の的を射落とした那須(なすの)与一(よいち)。生涯は謎に包まれているものの、平家物語によって誰もが知るヒーローとなった▼出身の那須(なす)氏は、鎌倉幕府成立後に御家人となり、一族は県北部を中心に繁栄した。だが、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が小田原城の北条(ほうじょう)氏を滅ぼした際に参陣せず、激怒した秀吉に改易された。名族のプライドが軍門に降ることを許さなかったのだろうか▼天下統一の総仕上げのため、秀吉は宇都宮城を経て会津若松城に向かったが、途中で2泊した大田原城でドラマがあった。那須氏当主の5歳の息子と対面し、再興を許したのだ▼大田原市那須与一伝承館の学芸員は「東北各地で一揆が起こり、その最前線の地という政治的な思惑と、与一以来の名族を絶やすのは惜しいと判断したのでは」と解説する。一発必中の矢が、400年後に一族を救う形になった▼こうした経緯が今月から始まった同館の特別展示「豊臣秀吉と那須氏-激動の天正18年」に詳しい。小田原攻めの参陣を求めたものや、再興を認めて領地を与える書状などが展示されている▼江戸時代以降、那須氏の当主は那須与一を名乗った。現代では大田原市役所や道の駅の建物は扇をかたどっている。ゆるキャラは「与一くん」。功名は今も、地域ブランドとして息づいている。