慰問袋を持つ石原さん(右)と箕輪さん=11日午前、宇都宮市

 戦後75年となった今夏、宇都宮市、石原冨美子(いしはらふみこ)さん(85)は、亡き夫が終戦直後に抑留されたシベリアで手にしたといい、長年大切に保管してきた「慰問袋」の送り主を探し当て、その家族と手紙をやりとりした。夫の生きる希望を支えたという「命の慰問袋」。送り主に謝意を伝え、夫の墓前に報告することは悲願だっただけに「やっと肩の荷が下りた」と口にした。

 石原さんの夫登(のぼる)さんは鹿沼市生まれ。13歳の時、国策だった満蒙(まんもう)開拓団の一員として満州(現中国東北部)に渡った。その後、捕虜としてシベリアに抑留され、戦後10年近くたった1954年、帰国がかなった。

 2011年に84歳で亡くなった登さんは生前、内地から軍人に送られていた「慰問袋」をシベリアで手にした、と話していた。励ましの手紙やあめ玉などが入っていたとみられる。厳寒の地。抑留時には重労働を強いられた。「厳しい生活だったが、慰問袋のおかげで頑張れた。命を救われた」とも言っていたという。

 袋には送り主として「大津市下北国町」「栗本藤四郎(くりもととうしろう)」と書かれてあり、冨美子さんは送り主に謝意を伝えたいと願ってきたが、手だてが分からずにいた。

 今年5月、高齢者の見守りボランティアとして自宅を訪れた元小学校教員箕輪澄恵(みのわすみえ)さん(74)が手を差し伸べてくれた。

 箕輪さんが大津市役所に地名など問い合わせるなどして、送り主の住所を突き止めた。8月下旬、冨美子さんに代わり、経緯を記した手紙を送ると、数日後に藤四郎さんの自伝と共に、息子で医師の藤基(ふじき)さん(75)から返事が届いた。

 藤四郎さんは軍人として1940年、満州に渡ったが、体調を崩し翌年に帰還。終戦直前にソ連が対日参戦したことに憤っていたといい、慰問袋を送ったらしい。帰国後に医師となり、県議会議長も務め、2000年に亡くなった。

 藤基さんは父・藤四郎さんについて、戦争体験がその後、医師、政治家になることに影響したと考える。「父は職業軍人ではなかったため、庶民目線で憤りを感じていたようです」と語った。

 冨美子さんは「やっと夫に報告できます。できれば滋賀にお礼に行きたい」と目を細めた。