校史の中に空襲の記録が残っていないか、目を凝らす大野さん

 宇都宮空襲をはじめとする戦災を語り継ぐ活動を20年にわたって続ける栃木県宇都宮市鶴田町、大野幹夫(おおのみきお)さんは、88歳になった今も戦争の真実の追求に心血を注ぐ。「記憶に頼ると、正確な事実は伝わらない」。史実を調査する中、戦後75年にして、宇都宮空襲に関する新たな推察も生まれている。

 宇都宮空襲を体験した大野さんは、5年前にホームページ(HP)「とちぎ炎の記憶」を立ち上げるなど戦禍の記録を重視してきた。

 「歴史的な事実を後世に伝えたい」と史実や報道記録を丹念に調べ、数々の証言を精査。今夏、見いだしたのが「宇都宮空襲で『M50焼夷(しょうい)弾』が使われた可能性がある」との推察だ。

 「M50焼夷弾」は直径5センチ、長さ35センチ、断面が六角形をしている。バトンほどの大きさで対ドイツ戦のために開発された。貫通力が高く、兵士の頭上に集中投下して殺傷する。ドイツ降伏後、宇都宮空襲と同時期の平塚空襲や八王子空襲で使われた記録があるという。

 宇都宮空襲では「M69焼夷弾」が投下された記録が残る。この焼夷弾は「『M50』よりも数倍大きく、家屋燃焼が目的のため、貫通力は考えられていない。もし人に直撃すれば、火だるまになる」と大野さん。

 M50焼夷弾も使われたとみれば「『幼子に焼夷弾が刺さったが、おぶっていた母親は被害がなかった』『宇都宮高前で焼夷弾の殻を軍人がシャベルで拾い集めていた』という証言とつじつまが合う」と説明する。

 大野さんは自身の推察についてさらに調査を深め、事実確認をした上でHPに成果を掲載するつもりだ。「空襲の記憶を止めるための執念。満足することはないし、したらおしまいだと思っている」