市民らから譲り受けた貴重な戦争資料が眠る倉庫=3日午後4時、宇都宮市内

活動に込めた思いなどを語った田中代表=6月30日午前11時、宇都宮市内

市民らから譲り受けた貴重な戦争資料が眠る倉庫=3日午後4時、宇都宮市内 活動に込めた思いなどを語った田中代表=6月30日午前11時、宇都宮市内

 宇都宮空襲を語り継ぐ市民団体「ピースうつのみや」は、活動の継承がままならず苦悩している。「体験者の痛みを知り、共有してこそ、記憶はつながる」。35年間続けてきた活動への思いは変わらないが、会員の高齢化、戦争体験者の減少は止まらず、平和運動を取り巻く環境も大きく変わった。戦後75年。将来への道筋は見えぬままだ。

 1985年、全国的に市民による戦禍の記録運動の機運が高まる中、ピースの前身の「宇都宮平和祈念館建設準備会」が発足。婦人団体や弁護士、労働組合などが結集した。

 宇都宮地区労の事務局長だった田中一紀(たなかかずのり)代表(78)=宇都宮市=は「平和なくして権利や生活は守れないとの思いが込められていた」と回想する。

 発足年の7月、初開催した「宇都宮空襲展」に、約700人もの市民らが押し寄せた。87年に戦跡を巡るツアー「ピースバス」を開始、これまでに延べ1千人以上が参加した。2002年からは灯籠流しを田川で催し、毎年多くの家族連れなどが訪れる夏の風物詩になった。

 あらがい難い流れがある。発足当時、約300人だった会員は現在約80人。中心会員は一人また一人とこの世を去った。

 今、空襲体験を語れるのは、主に大塚房子(おおつかふさこ)さん(94)=宇都宮市=と大野幹夫(おおのみきお)さん(88)=宇都宮市=の2人だけだ。

 21年にわたり、小学校で講話を続けてきた大野さん。大きな声を出す体力がなくなり、話す内容が突然、頭から飛ぶことも増えた。「もどかしい。今年が最後かもしれない」

 新型コロナウイルスの影響もあり、今年は中止となった灯籠流しも、灯籠の組み立てや河川敷に下ろす作業が会員だけでは難しく、再開の目途は立っていない。背景に活動を下支えしてきた労働組合の組織力低下もあるという。

 市民から託された貴重な資料や遺品は1千点以上に及び、常設展示の必要性を市に訴えてきたが、かなわぬままだ。

 近年、バスツアーに学生らの姿が目立つようになり、若者の関心の高さを感じるが、活動が将来につながる道筋は見えないという。

 田中代表は「今生きている人、記録の中に生きる人が何を訴えているのか。そこに共感することが記憶を継承する力」と変わらぬ信念を口にする。「痛みを共有するっていうんかなぁ」