国学院栃木高出身でラグビー日本代表の田村優(たむらゆう)選手(30)の母、田村真奈美(まなみ)さん(59)=愛知県在住=に子育てを振り返ってもらった。

ヘアカットをしてご機嫌な2歳ごろの優さん

 優は2人兄弟の長男。妊娠中のつわりがひどくて仕事を辞め、沖縄で里帰り出産しました。私は女性も働くのが当たり前の環境で育ちましたので、優が1歳ごろになると保育園に預け、再び働き始めました。住んでいた岡崎市は3世代家族で母親は主婦という家庭が多かったので、珍しかったと思います。

 主人(元ラグビー選手の田村誠(まこと)さん)は仕事とラグビーで不在がち、親戚も近くにおらず、今でいうワンオペ育児。思うようにいかず戸惑いました。必死だったのでよく覚えていませんし、正直、楽しめなかったです。

 優はやんちゃな子で、小学1~3年は先生と合わず、締め付けられてつらい時期でした。感情を処理しきれず友達と衝突し、殴り合いのけんかをすることも。私は謝罪に行くために菓子折りを常備していました。

 私と主人も厳しくしつけました。大人が「こうしなさい」と言うことは全て正しいわけではないですが、意味があります。ただ、優は「嫌だ」という気持ちが大きい子でした。逃げ場がなく、休まるところがなかったと思いますが、小学4年以降は先生に恵まれて前向きに学校に行き、楽しそうでした。

運動会のかけっこで1位になった3歳の優さん

 義務教育の中学までは勉強についてもうるさく言いました。私はせっかちなので、「近道」ではないけれど「早道」を教えました。国語は問題を先に読んでから文章を読む、とか。

 ただ、小学3年ごろには勉強よりスポーツが向いていると気付きました。県立高の合格発表まで待ちきれないので、推薦で私立高へ行き、大学に行き、体育の先生になると思っていました。

 私はもともと、中学卒業後は県外へ進学させるつもりでした。15歳で親元を離れるリスクよりも、大学進学や就職などの将来を考えたのです。失敗したらやり直せばいいと。ですので、優が中学2年の時、一緒に生活できる時間はわずかだろうと仕事を辞めました。

 優はずっとサッカーをやっていましたが、中学3年の時に「高校でラグビーをやりたい」と言い出し、国学院栃木高にお世話になることになりました。そばにいるとぶつかり過ぎてしまうので、親元を離れ、距離を取って正解だったと思います。優も親には甘えられても、他人には甘えられませんので、責任を持つようになりました。

 寂しくはなかったですが、覚えていることがあります。高校の保護者会で栃木に来て、優の部屋を掃除してご飯を作りました。次男が待っているので、優には会わずに愛知へ戻ったのですが、その途中に優から「一緒にご飯を食べよう」とメールが来た時は泣けましたね。

 振り返ると反省ばかり。親の思うようには育ちませんが、つらいことがあっても、最終的に楽しく生活してくれればいい。優もプレッシャーはあると思いますが、折り合いをつけて頑張ってほしいです。

【もっと聞きたい!】

 ■優さんの食事

好物=白米、すし、肉、チーズ
嫌いな食べ物=牛乳

 「基本的に肉と魚の両方を食べさせ、野菜も必ずたくさん出しました」

■忘れられないエピソード

 「1歳前後は身体が弱かったです。嘔吐(おうと)と下痢を繰り返した時、医師に『少しの水分を与えればいい』と言われたのですが、優はおなかがすいて泣き、食べ物を探してごみ箱をあさって切なかったです。優の前ではかわいそうで食事できず、1週間、夫婦交代で抱っこして、寝た隙にご飯を食べました。親子で痩せました」