自宅でバッティングの構えを披露する10歳の裕亮さん

 守さん 小学2年で一つ上の兄の影響で野球を始め、2人のために庭にマウンドを作ったり、バッティング用ネットを張ったりしました。兄弟でキャッチボールや素振りなど暗くなるまでやっていました。

 伊豆美さん 小中学校ではサードでした。中学生になると兄弟でよく食べるので朝はコメを1升炊いて、夜も炊くこともありました。捕手はぶつかることも多いので、がっしりした体形は今に生きていますね。

 守さん 立志式で発表した夢はプロ野球選手。だからといって、親が何かしたわけではないです。そもそも私は野球経験がないので、口出しはしませんでした。今考えると、指導者に任せたのがよかったのかもしれません。身内に言われるよりも、他人に言われる方が素直に聞き入れられますから。

 伊豆美さん 高校は兄がいた小山北桜高に進みました。兄と同じ高校に決めた理由を聞いたら、応援する私たちが別の高校だと大変だろうと思ったからだそうです。高校で捕手に転向し、ピッチャーの兄とバッテリーを組みました。

「自然のまま育てたら、結果的に野球選手になった」と話す守さん(左)と伊豆美さん

 守さん 昔からライバルであり、強い絆で結ばれた兄の存在は大きいようです。裕亮は兄が家業の造園業を継ぎ、兄のおかげで好きなことをやらせてもらっていると感謝し、兄も裕亮の活躍を心から尊敬しています。自宅には兄が作った裕亮のユニホームなどを飾った部屋があります。

 高校卒業後は社会人野球の道を選びましたが、けがで退社しました。実家に戻り、家業の手伝いをしたりしていました。

 伊豆美さん 普通なら親は心配になるでしょうが、昔から愚痴を言わず、苦しんでいるだろう時もさらっとしているので、心配することもありませんでした。ただ、車好きだからか「ダンプの運転手になる」と言い出した時は驚きました。膝の痛みで断念しましたが。

 守さん 徐々に大学で野球をやる気になったようで、自主トレと受験勉強を始めました。大学でも指導者に恵まれ、プロ野球選手になる夢をかなえることができました。遠回りしたからこそ、今があると思います。

 伊豆美さん けがはいつも心配です。先月の日本シリーズは東京ドームに応援に行きました。日本一が決まった後、私たちに気付いて手を振ってくれて感動しました。最高の贈り物です。

 守さん 日本一は一つの通過点。いつ選手としての区切りを付けるのかは分からないですが、その日まで頑張ってほしいです。

 

【もっと聞きたい!】

裕亮さんの食事

 好物 白米、唐揚げ、ポテトサラダ

 「小さい時から食べるのが好きで、ガツガツ食べていました。体を作るため、白米中心の家庭料理でした」(伊豆美さん)

忘れられないエピソード

 3歳ごろ、私たちが造園の仕事先にいたところ、ひょいっと道を見たら裕亮が1人でいてびっくりしました。自宅から車で10分ほどの距離があるのですが、何回か車で連れて行ったので道を覚えたのか、自宅から補助輪付きの自転車で来てしまいました。自宅では、祖父母が大慌てで探していました。