古代、「猪鹿(ちょろく)の園」と呼ばれた場所が本県にあった。語感から、動物たちがのんびり集うユートピアを想像したが、さにあらず。獣がうろつくほどの荒れ果てた様子を表した▼下野市にある国指定史跡「下野薬師寺」のことである。東国随一の官寺として8世紀初頭に建立された寺は、五重塔や金堂など七堂伽藍(がらん)が立ち並ぶ栄華を誇ったが、律令(りつりょう)体制の衰退とともに没落した▼平安時代中期、窮状に耐えかね、薬師寺の僧慶順が東大寺別当に復興の援助を願う文書に猪鹿の園の表現が記されている。東大寺古文書にはこうある。「伽藍が破壊転倒し、壊れた塀から猪鹿が入り込み飛び回っている。名刹(めいさつ)の名折れである」▼下野市教委の学芸員山口耕一(やまぐちこういち)さんによれば、旧石器時代から室町時代にかけての狩猟のための落とし穴の遺構が、この周辺から数多く見つかっているという。貴重なタンパク源として弓矢で追い込んで捕獲したらしい▼今は昔と言ってはいられない。近年、山が荒れ果て再び猪鹿がこの地に出現している。慶順がその様子を見たらどんなに嘆き悲しむことだろう▼下野薬師寺跡や下野国分寺跡など豊富な文化財を活用した「東の飛鳥プロジェクト」が、下野市で動きだした。歴史と文化の薫り高いまちづくりが成功すれば、文字通り一帯がユートピアに生まれ変わるかも。