右奧の体育館から再避難した当時の状況を語る谷さん。左は3階建ての校舎=10月31日午後、佐野市船津川町

右奥の体育館から再避難した当時の状況を語る谷さん。左は3階建ての校舎=10月31日午後、佐野市船津川町

右奧の体育館から再避難した当時の状況を語る谷さん。左は3階建ての校舎=10月31日午後、佐野市船津川町 右奥の体育館から再避難した当時の状況を語る谷さん。左は3階建ての校舎=10月31日午後、佐野市船津川町

 台風19号が栃木県を直撃した10月12日、避難所に避難していた住民が別の場所へ移動する「再避難」が県内でも相次いだ。佐野市内の避難所では近くの川の水位が上昇した影響で移動を余儀なくされ、鹿沼市内では避難所に土砂が流れ込んだ。避難所の在り方などに課題が浮き彫りになり、関係者は見直しの必要性に言及。識者は「再避難は危険が伴う。再避難の判断は危険が迫る前に、なるべく早期に行うべきだ」と指摘する。

 「まさか外に出されるなんて」。佐野市船津川町の谷寛行(たにひろゆき)町会長(68)は、再避難を余儀なくされた10月12日の夜を振り返った。

 近くの避難所の旧船津川小へ家族と身を寄せたのは午後5時ごろ。付近を流れる渡良瀬川の堤防は4年前の関東・東北豪雨で「びくともしなかった」(谷さん)が、水害を恐れた。

 地域住民約30人が体育館で風雨の状況を注視する中、大雨特別警報が同市に発令。午後8時すぎ、約4キロ離れた植野小へ避難するよう市職員に指示された。

 「垂直避難で済むのではないか」。谷さんは隣の3階建て校舎への移動を提案したが、方針は変わらなかった。谷さんらは植野小へ車で向かった。しかし途中にある秋山川で氾濫が始まっており「ほとんどの住民は危険と判断し、自宅に引き返した」という。

 同市危機管理課の担当者は「想像を超える雨量で渡良瀬川の堤防決壊を恐れた」と当時の状況を語り、「最後の手段としての再避難だったが、避難所の在り方や運営について見直す必要を感じている」と話した。

 鹿沼市内の避難所の一つ、加蘇コミュニティセンターには同日夜、裏山の土砂が窓を突き破って流れ込んだ。この避難所は土砂災害特別警戒区域内にあった。

 避難していた約60人が午後11時ごろから、約300メートル離れた加園小へ車で再避難。その一人の同市加園、農業伊佐野一祥(いさのかずよし)さん(67)は「土砂に驚いて子どもが泣いていた。安全と思って避難していたのに」と表情を曇らせた。

 防災マネジメントが専門で宇都宮大地域デザイン科学部の近藤伸也(こんどうしんや)准教授(42)は「避難所がどういう場所にあり、どういった危険が想定されるのか、日頃から意識してほしい」と強調。「最初から遠くの安全と思える避難所へ身を寄せるのも方法の一つ」と指摘している。