栃木県の農作物に甚大な被害をもたらした台風19号は、東京電力福島第1原発事故から再起を目指していたシイタケ農家にも容赦なく襲いかかった。矢板市内に流れる中川の堤防が決壊し、同市下太田、農業君嶋治樹(きみじまはるき)さん(35)が原木シイタケを育てるハウスは、濁流にのみ込まれた。8万本以上あった原木のうち、流された原木は1万本超。君嶋さんはボランティアの手を借りながら出荷再開を目指し、現在も必死に片付け作業などに取り組んでいる。
「ようやくここまで来たのに」
原発事故の影響で、県産シイタケが出荷制限措置を受ける中、治樹さんの父治(おさむ)さん(68)は放射性物質の影響を排除した生産の実証にいち早く取り組み、2013年10月に県内で初めて出荷制限が一部解除された。
台風19号が本県を襲った10月中旬はまさに原木シイタケの収穫時期。今年、治樹さんは「震災以前の収穫量に戻るのではないか」と期待していた。「これまでの努力がたった一夜で…」。続く言葉はなかった。
流出した原木は、約3キロ離れた場所にまで流されたものもあった。知人たちに協力してもらい、9割ほどは回収できた。ただ「泥水がついてしまい、処分しなければならない原木も多いと思う」と話す。
今後は出荷再開に向けて原木の泥を洗い流し、再び使用できるか選別しなければならない。「やればやるほどやることが出てくる。ゴールが近づいてこない」と肩を落とす。
一方で、被害に遭って以降、大勢のボランティアが原木の回収や片付けの作業を手伝ってくれた。「ピーク時は1日に20~30人のボランティアの方が来てくれた」という。
「手を差し伸べてくださった方のためにも、もう一度、もう一度、出荷再開を目指したい」。治樹さんは声を振り絞った。