台風19号の影響で足利市南部の久野地区も小河川が氾濫した。ただ、明治時代に地区を流れる渡良瀬川が台風でたびたびあふれ、足尾銅山の鉱毒で甚大な被害を受けたことを知る住民は少ない▼当時、旧久野村でも激しい住民運動が起き、田中正造(たなかしょうぞう)を師と仰いだ。洪水は上流の足尾が煙害ではげ山になったのも一因とされる。「足尾に緑を育てる会」主催のフィールドワークで先日、久野地区にある寿徳寺を訪ねた▼寺は正造の「第6の分骨地」である。墓は生誕地の佐野市など5カ所と長らく言われてきた。1989年に明らかになった時、研究者らは騒然となった▼正造は運動が勢いを失った死の直前、共に闘わないのに正造の碑や像は建てようとするかつての仲間を糾弾した。それ故、村の指導者たちは分骨を願い出せず「本葬時にこっそり一片を持ち帰ったのでは」と同会監事の坂原辰男(さかはらたつお)さん(67)。真相は謎だ▼環境問題で正造に注目が集まり、89年に顕徳会が地区にできたのを受けて、寺が打ち明けた。没後、実に76年がたっていた。以来、会が毎年法要を営む。ただ発足後30年が過ぎ、風化が懸念されている▼会はおととし、久野小の児童を対象に出前授業を始めた。「村を守った正造を後世に語り継がないと」。今回の台風は、地域の歴史を振り返るきっかけとなるはずだ。