池の前に案内板を取り付ける閑援隊のメンバー

 【佐野】閑馬町の名前の由来とされる「するすみの池」を広く知ってもらおうと、地域おこしの市民団体「閑援隊」が24、25の両日、池周辺に案内板や階段を設置した。長さ約20メートル、幅約6メートルの小さな池だけに、「池の存在は知っていても、足を運んだことがないという市民がほとんどだった」と隊長を務める造園業川元功史(かわもとこうじ)さん(44)。「まずは地元の人たちが伝説や歴史を再確認するきっかけになれば」と期待している。

 するすみの池は閑馬小北東の民有林にあり、近くには「佐野板東三十三箇所」の一つ遍照寺がある。

 池の周辺整備は、地元の隠れた名所をPRしていこうと、土地所有者の協力を得た上で国の地域支援事業の補助を受け進められた。

 地元の伝説では、足利氏2代当主の義兼(よしかね)が源頼朝(みなもとのよりとも)に軍馬を送ろうとこの地で探していた際、飛び抜けて足が早い馬に逃げられてしまい、池で水を飲み休んでいたところを捕まえたとされる。この馬は墨のように黒かったため「磨墨(するすみ)」と名付けられ、馬が静かになった場所として「閑馬」と呼ばれるようになったと伝えられる。