3代目金燈籠と保存会長の大久保さん。初代から変わらぬ「町内安全」の文字が刻まれ市民を見守る=13日午後、大田原市中央1丁目

 大田原市中心部の国道交差点に、街のシンボルとして市民に親しまれている常夜灯「金燈籠(かなどうろう)」がある。太平洋戦争中には金属回収運動で「応召」を余儀なくされ、姿を消した。市民有志の再建運動で復活し、今年で建立から200年。戦争の悲劇を乗り越え、今も市民の平和と安全を見守り続けている。

 1942年12月5日、旧大田原町第三区の住民に1通の回覧が回った。金燈籠の応召決定の通知だった。

 地元三区の住民には応召に反対の声もあった。区長らは国の那須地方事務所長に面会し「供出除外」を申し出たが、所長の指示は「戦時下の国策に順応せよ」。仏像や梵鐘(ぼんしょう)も武器生産の資源として回収される中、例外にはならなかった。

 同月15日には金燈籠に別れを告げる「告別式」が行われ、大勢の人々が万歳三唱で送り出した。「心の中ではみんな寂しかった。戦争に勝つためなら仕方ないと思い、気持ちとは裏腹に笑顔で送り出したんです」。金燈籠保存会会長の大久保博(おおくぼひろし)さん(90)=同市新富町1丁目=が振り返る。

 戦地に赴く金燈籠は「決別状」を残した。「第一戦に参りましては身命を賭して御奉公致す」「武運芽出度(めでたく)凱旋(がいせん)の暁には尚(なお)一層皆様の為(た)め御奉公致す覚悟に候」-。区長が金燈籠の「心情」を代弁して書いた別れのあいさつ文には、戦時の空気がにじむ。

 1819(文政2)年、大田原宿の安全と旅人の無事を祈願して建てられた金燈籠。戦後、三斗小屋(現那須塩原市)にあった似た燈籠を譲り受け再建されたが、1978年に返還された。現在は3代目。79年に有志が費用を出し合って再建し、今年で40年になる。

 市民に愛され、守られ続けてきた金燈籠。直近に住む大久保さんは、その日に起きた歴史的な出来事を手書きした紙を毎日、金燈籠の前に掲げるのが日課になっている。8月15日に掲げるのは「終戦記念日」。「何より平和が大切」という思いを込める。「金燈籠も、ずっと平和であってほしいと願っているはずです」