宇都宮市の北山霊園に建つ慰霊碑の前に並ぶ戦友会「栃木少飛会」の関係者。結成5年後の1976年ごろの撮影とみられる

 昭和初期に養成され、特攻隊にも組み込まれた陸軍少年飛行兵(少飛)。戦後74年を迎え、最も若い世代の生存者でも90歳前後となり、証言を聞ける機会は少なくなった。本県関係者の戦友会「栃木少飛会」が解散して15年。かつて少飛の操縦教育が行われた本県でも、記憶の継承は難しくなっている。

 同会がまとめた記録誌「蒼空の青春」などによると、少年飛行兵制度は1933年に制定。34年2月に1期生が飛行学校に入り、終戦直前の45年8月に入校の20期生まで、10代半ば~後半の約4万6千人が教育を受けた。約1割の4556人が戦死。うち457人が特攻死で、本県出身者が5人いたと同誌は記録する。

 「実戦を知る先輩は皆、亡くなったのでは」。宇都宮市のタクシー会社会長皆藤進(かいとうすすむ)さん(90)は寂しそうに話す。44年4月入校の18期生。基礎教育が終わると程なく終戦したため、戦地は経験していない。

 少飛会は2004年、人知れず解散。「立派な先輩」は相次いで鬼籍に入った。自身も年を重ね、同市の北山霊園にある少飛の慰霊塔の参拝も難しくなった。「もう少し若ければ…」。そう悔しさをにじませる。

 復員後、宇都宮に移住した9期生の水谷郷(みずたにさとし)さんは記録誌の編集長を務め、講演や執筆活動に加え、ウェブ上でも少飛を語り続けた。講演で必ず触れたのが、18歳で沖縄戦で特攻死した旧黒磯市と旧塩原町出身の後輩2人の最期。家族宛ての遺書も紹介し悲劇を伝えていたが、3年前に92歳で他界。発信力のある語り手がまた1人、世を去った。

 ほんのわずかだが、体験を伝え続ける人もいる。

 16歳で少飛を志願した佐野市石塚町、四十八願(よいなら)好造(よしぞう)さん(95)は小学校などで講話しており、今月20日は同市役所で一般向けに講演する。「国のために亡くなった人のおかげで豊かな日本があることを忘れないでほしい」。体が許す限り、語りを続ける考えという。

 一方、県外では近年、薄れつつある少飛の記録を後世につなぐ動きがある。東京陸軍少年飛行兵学校があった東京・武蔵村山市は3年前、関連資料を展示する小さな施設を建てた。埼玉県桶川市は飛行学校の分教場の復元工事を進める。

 宇都宮市清原地区にもかつて、東京の飛行学校の修了生らが学ぶ上級校があり、飛行機の操縦教育が行われていた。しかし現在、そうした歴史を語り継ぐ活動はほとんど見られない。