呼称が変更された増長天=18日午前、日光市山内

 240年ぶりに名を改めます-。日光山輪王寺は18日、大猷院(たいゆういん)の国重要文化財「二天門」に安置されている「持国天・広目天」としていた二つの像の呼称を「持国天・増長天」に変更すると発表した。

 呼称が変わる像は二天門に向かって右側に置かれ、刀を右手に持つ。首の内部には「寛政九巳(西暦1797年)~廣目」と墨書。「廣目」は四天王(増長天、多聞天、持国天、広目天)の広目天を指しており、この当時から輪王寺はこの像を広目天としてきた。

 しかし筆を持つはずの広目天が刀を持っていることや「古写真で二天門内の像の配置が入れ替わっていた」など、疑問点が伝えられてきた。そこで2014年からの像の修復に合わせ、輪王寺は調査を行ってきた。

 調査では、本殿最奥部の宮殿の四隅にある四つの像に注目。本殿に関する記録では梵天(ぼんてん)、帝釈天、増長天、多聞天とあるが、刀を持つはずの“増長天”像は筆を持っていたという。

 輪王寺は「この像が本当の広目天」と推測し、寺内の古い文献を調査。その結果、大猷院完成当初は各像の名称は明確にされておらず、1778年に像の名称と配置を記録したことが分かった。

 像の持ち物が逆であることに加え、「持国天・増長天が前方、多聞天・広目天が後方」という四天王の配置が奈良市の唐招提寺金堂と一致することから、二天門右側の像が増長天であるという結論に至った。

 宝物殿館長の柴田立史(しばたりっし)さん(68)は「1700年代後半からは間違えていたようだ。約240年ぶりに本当の呼び名が明らかになった」と話した。