明治時代に県内で開かれた句会の記録集が、那須烏山市中央1丁目の島崎酒造で見つかった。句会の入選句を筆書きした絹地を和紙で裏打ちした53枚で、1885(明治18)年~96(同29)年の制作。俳人で俳文学研究家の中田亮(なかだりょう)さん(88)=宇都宮市=は「当時の本県俳壇の資料はほとんど残っていない。現代俳句として通用する作品も多く、レベルの高さに驚かされる」と評価している。
記録集はそれぞれ縦35センチ、横は約180センチ。入選句が作者の俳号とともに記載されており、巻頭に花鳥などの彩色画が描かれたものも多い。
企画(主催者)、判者(選者)、執筆(しゅひつ)(記録係)などの運営担当者名も載せられ、広く作品を募って選考したことが分かる。記録集を調査分析した中田さんによると、判者として記載された12人のうち、穂積永機(ほづみえいき)、服部梅年(はっとりばいねん)など6人は幕末から明治にかけて中央で活躍した高名な俳人だった。