自宅でクラブの説明をする小針春芳プロ=2010年1月

小針春芳プロ

自宅でクラブの説明をする小針春芳プロ=2010年1月 小針春芳プロ

 「那須の神様」「那須の小天狗(こてんぐ)」と評され、日本プロゴルフ界の草創期を支えた小針春芳(こばりはるよし)さんが4月19日、老衰のため那須塩原市の介護施設で死去していたことが14日分かった。97歳だった。葬儀は家族葬で既に済ませた。

 1921年那須郡高林村(現那須塩原市)生まれ。高等小学校を卒業して36年に那須ゴルフ倶楽部(くらぶ)に就職し、40年に栃木県プロ第1号となった。55年に中村寅吉(なかむらとらきち)を破り、当時メジャー大会の関東プロ(マッチプレー)で初勝利。日本オープン2勝、関東オープン2勝などツアー通算6勝を挙げた。

 特に60年の日本オープンでは陳清波(チンセイハ)(台湾)のスコア誤記で2度目の優勝を飾り、「日本ゴルフ初の事件」として有名。日の丸も背負って海外を転戦し、カナダカップ(後にワールドカップ)や極東オープンに参戦。62年のシンガポールオープンでは2位に食い込んだ。

 2012年3月に日本プロゴルフ殿堂入り。日本にゴルフブームを巻き起こした中村寅吉や宮本留吉(みやもととめきち)、林由郎(はやしよしろう)らと7人同時に第1回殿堂入りを果たしたが、唯一存命だったのが小針さんだった。

 元塩原カントリークラブ所属で、小針さんと親交の深かった鹿毛隆男(かげたかお)プロ(69)は「いつかこの日は来ると覚悟していたが非常に残念。クリーク(5番ウッド)の名手として有名だが、ドライバーショットのコントロールはプロの目からでも素晴らしかった。悲しい。寂しい」と嘆いた。