「いちご王国」を長年支えてきた、平成を代表するイチゴ「とちおとめ」。その誕生秘話を紹介する。

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 1990年、栃木市の県農業試験場栃木分場(現いちご研究所)で育種を担っていた石原良行研究員は重圧を感じていた。

 当時、主力だったイチゴ「女峰」に代わる新品種の開発を任されたからだ。

 石原氏は学生時代に栽培を学んでおり、育種は専門外。抜てきには戸惑いがあった。それに、女峰の裏に感じたのは当時767ヘクタールで栽培する約3千戸の生産者。「プレッシャーだった。一方ではそれがモチベーションにもなった」

 女峰と改めて向き合うと、感じたのは品種の素晴らしさ。「果実もきれいで、収量も多い。味も良い」。反面、2月以降に果実が小ぶりになり、酸味が出るという問題もあった。生産者からは大きな果実を、市場からは食味の改善を求める声が出ていた。

 女峰の特長を引き継ぎながら、この二つの点を焦点化して改善することを決め、「おいしい」「大きい」「作りやすい」を掲げて開発に着手した。

 ■育種とは拾うこと■

 勝算も、決まったプロセスもない。まず果実の形や色、食味、硬さなどの調査項目をまとめた育種手順を作った。そして交配し、データを取り、選抜する作業を繰り返す。4千数百株の苗を作り、女峰と照合しながら「全て試食した」。ただ一日も早く現場に応える気持ちだった。

 駄目な品種を捨てる作業でなく、女峰の生みの親で元栃木分場長の川里宏氏が言った「育種とは、拾うこと」という言葉を胸に、可能性を探った。

 交配する親をどうするか、さらに何十という調査項目それぞれの遺伝子を、一定以上のレベルで一つの品種に詰め込むという作業は「今になって思うと最も大変なことだった」。

 ■短期間での登録出願■

 とちおとめの交配から品種登録出願までにかかった月日は4年。10年かかるといわれる品種開発の中では短い。それには大きな理由がある。

 とちおとめの開発には、当初から農家や農協、経済団体が関わっていた。新品種を求めていた農家は「ぜひ協力させてほしい」と申し出た。作ったイチゴは売れない上に資材費がかかるにもかかわらず、初期の試験栽培から協力した。石原氏は「こんなことは後にも先にもこの時だけ」と振り返る。

 生産者団体をとりまとめる園芸特産振興協会(現とちぎ農産物マーケティング協会)は予算付けを後押しし、県農業振興事務所は会議などを調整した。「関わる皆が協力して何とかしようと開発した品種だから、普及もスムーズで、一気に(生産が)広がった」

 ■意図的にイチゴ号■

 後のとちおとめとなる最有望株は栃木15号となったが、ちょっとした裏話がある。開発着手当時、県が開発した品種は「11号までだった」。生産者も含め「これがいい」となっていた品種は「意図的に」他の3品種(12~14号)と一緒に15号として開発チームに提示した。石原氏は「やっぱり15号にしたかった。イチ・ゴですからね」と笑った。

 そんなとちおとめだが、トラブルもあった。試験出荷で市場に持っていくと「味がない」と市場関係者から苦言が出た。原因は分からなかったが、3年ほどすると自然に解決した。石原氏は「本県だけでなく、イチゴの新品種は1、2年は安定せず、食味などにばらつきが出る」と説明する。

 女峰より大きく、摩擦に弱いため輸送性の問題もあったが、即座に農協が従来のパックから形や容量を変えて輸送時に傷がつかないよう対処した。

 とちおとめは病気に弱いと、よく言われる。「種一つから生まれた最初の株は枯れてしまった」という。「今思えば、恐らく萎黄病だったのではないか」と石原氏。その株のランナー(つる)を取っておいたことが「次につながった」。

 その後、萎黄病にも炭疽(たんそ)病にも弱いことが判明した。だが試験場の病害虫部門である病理昆虫研究室が防除試験を繰り返し、雨よけやポット育苗など効果的な技術を見つけ、生産者はすぐにその技術を導入した。県は導入補助事業を用意した。

 「とちおとめでやっていこう、良い苗を作ろうということに関して、いろいろな部署や人が協力してくれた」

 ■ピンチヒッターから■

 現在、とちおとめはJAグループ栃木取り扱い分(2019年産速報値)で栽培面積444ヘクタール、栽培戸数は1651戸と、本県産の85%を占める。

 品種発表から20年以上、生産量日本一の座を支えている。石原氏は「一つの品種が20年以上続くというのは、野菜の世界ではほとんどあり得ないこと」と解説する。

 10アール当たり平均収量4・2トンといわれるとちおとめを、10トン収穫する農家も出ているという。「そういう作り方を見つけてくれた。とちおとめは生産者がつくりこなし、育ててくれた品種なんです」と石原氏は感謝する。

 生産者や研究機関、行政、農業団体、経済団体、市場が一丸となって世に送り出したイチゴ。「(次の品種までの)ピンチヒッターにはなるかな」とデビューしたとちおとめは、スーパースターになった。