喜沢分岐点に戻った道標と伊沢さん。「男體山」の文字の下に、「右奥州」「左日光」の表示がある

 【小山】江戸時代に建てられた喜沢分岐点の道標がこのほど、地元有志の手で107年ぶりに元の位置に戻った。高さ2メートルを超える石碑で「男體(体)山」と大きく刻まれ、江戸から来る旅人向けに「右奥州」「左日光」と表示されている。たびたび倒される被害に遭ったため、近くの日枝神社に移設されていた。

 石碑の建立に協力した地元名士の子孫で、復元を求めていた喜沢、伊沢昭(いざわあきら)さん(89)は「大満足です」と感動に目を潤ませた。

 石碑裏面の記録によると、鹿沼出身の力士の歌ケ浜斧吉が喜沢や壬生、日光の支援者の補助を受け、1835年(天保6年)3月に建てた。

 現在の国道4号に合流する県道粟宮喜沢線と、県道小山壬生線に分かれる喜沢分岐点で、奥州と日光の方角を示す道標を兼ねた。ところが何者かによって繰り返し倒されてしまう。