「ひろしコート」の遺志引き継ぐ 故平野博市議が整備・無償開放、テニス大会継続へ

 【日光】50年間にわたり、世代を超えて地元住民に愛されるテニスコートが市内にある。今月6日に病気で急逝し、大のテニス好きで知られた瀬尾、元今市市議会議長平野博(ひらのひろし)さん(86)が自宅の畑をコートに造り替え無償で開放する通称「ひろしコート」だ。テニス愛好家などが練習場所の確保に苦労した半世紀前、スポーツ振興などを目的に開放を決めた平野さん。家族は遺志を引き継ぎ、「今後も大会などを続けていきたい」としている。

 高校時代に軟式テニス選手だった平野さん。孫の大学3年寛己(ひろき)さん(21)や高校3年安惟(あい)さん(18)が出場する試合は、全国大会でも観戦に行くテニス愛好家だった。コート開設40周年記念回顧録に「高校時代からコートを持つのが夢」とつづり、コート造りの際に農業で父の故喜一(きいち)さんを説得するのは「勇気がいることだった」と振り返っていた。

 「お金を取らなければいいぞ」。喜一さんとの約束で1969年4月、タバコ畑約10アールを活用した手作りのクレーコートは「ひろしコート」と名付けられた。30周年記念事業で人工芝に変わり、毎年地域の小学生と中学生が参加する大会や地域住民を集めた年明けの初打ち、合宿などを主催してきた。

 「今も地域の子どもたちが『コートを貸して』と訪れるんです」と妻俊子(としこ)さん(84)。テニス部の生徒など現在も年間約130件(約750人)の利用があるという。