東京電力福島第1原発事故で発生した指定廃棄物は、県内でも農家などによる一時保管が続く。処分の道筋が見えない中、農家では保管の担い手が死亡し、残された家族が引き継ぐケースが出ている。「あんな物、残したくなかったはず。心残りがあると思う」。東日本大震災から11日で7年。一時保管が長期化し、指定廃棄物が次の世代への“負の遺産”になりつつある。
山あいに広がる水田。そこに長さ約10メートル、幅数メートルにわたり黒い遮水シートで覆われた固まりがある。指定廃棄物の稲わらだ。
保管していた県北の農業男性(69)は2017年10月、がんで他界した。指定廃棄物はそのまま長男(31)ら家族が引き継いだ。
「気持ちのいいものじゃないですよね」。眺めながら長男が苦笑した。「おやじはああいう物まで引き継がせたくなかったと思う」
コメの専業農家だった。「おやじが守ってきた仕事。やれるうちはやろうと思って」。長男は会社勤めの傍ら農業を引き継ぎ、休日などに農作業を行っている。家、土地などとともに残されたのが指定廃棄物。男性の死後、誰が保管者になるのか、地元自治体などから連絡はない。
長男は「保管者は誰も悪くない」と口調を強める。一時保管は1、2年と思っていたが、もう6年ほどになる。「残す側も、残される方も嫌。おやじは心残りの部分があったと思う」
長男には2歳の娘がいる。娘の誕生後、指定廃棄物をいち早く撤去してほしいという気持ちが強くなった。自宅近くを娘と散歩した時、尋ねられた。
「あの黒いの、何?」
道路から見える指定廃棄物だった。「近づいちゃ、駄目だよ」と応じるのが精いっぱいだった。