二宮尊徳(にのみやそんとく)(1787~1856年)の生涯を描いた初めての映画「二宮金次郎(にのみやきんじろう)」が完成した。村々の復興に身をささげた姿を、ゆかりの地の真岡市や日光市で撮影。五十嵐(いがらし)匠(しょう)監督は「(両市は)尊徳が今も生きているような印象。そうした場所で撮影できて光栄だった」などと話し、地元の協力に感謝した。
尊徳は幼少期に洪水で家を失い10代で両親を亡くしたが、農作業や学問に励み20代で家を再興させた。地元の小田原藩主に認められ、分家の領地だった桜町領(現真岡市)に赴任。節約や貯蓄を軸にした独自の「報徳仕法(ほうとくしほう)」で荒廃した村を復興させた。幕府の命で晩年は日光神領の復興に関わり、日光で生涯を終えた。