あらわになった格納庫の土台部分。磯さんは「最後の姿を見てほしい」と話す

 【那須塩原】近代化遺産の一つで、木立に囲まれて見えづらかった埼玉の那須野陸軍飛行場格納庫跡が開発によって姿を現した一方、あと1週間程度で取り壊され、その姿を消す。終戦間際には特攻隊の基地として稼働したが、当時を知らない人も多い。今回詳細な計測を行った沓掛、郷土史家磯忍(いそしのぶ)さん(72)は「飛行場を物語る貴重な遺構。最後の姿を見て思いをはせてもらいたい」と話す。整地を進める市内企業は「保存はできないが、関心のある人には見てもらって差し支えない」としている。

 厚さ約60センチ、高さ約340センチの分厚いコンクリートが12基連なる。当時三つあった格納庫のうちの南端、広さ約30アールの第3格納庫の屋根を支える土台部分。周囲を覆う木々が昨年暮れごろから伐採され、威容があらわになった。

 那須野陸軍飛行場は1942年、埼玉地区を中心とした約280ヘクタールに熊谷陸軍飛行学校那須分教所として開設した。磯さんによると、格納庫は南東端あたりに位置し、一つの格納庫に練習機8機、戦闘機であれば4機程度が収まっていたとみられるという。45年4月に、茨城県の鉾田教導飛行師団が移転され特攻隊の基地に。終戦の2日前にも、特攻機が出撃している。

 飛行場跡地には現在、新興住宅地や農地が広がり、格納庫跡のほかに残るのは塩野崎新田にある飛行機を隠すための「掩体壕(えんたいごう)」のみという。