七つの井の一つ「蟹澤の井」

 【益子】地元でも意識されることが少なくなった「七井」の地名の由来になった七つの井戸について、町教委は位置などを確認し、内容をパネル1枚にまとめた。14日に真岡鉄道七井駅前で開かれる前(まえ)・土祭(ひじさい)で展示する。土祭は町内の風土や風習などを見詰め直す機会だけに、地域の原点に改めて光を当てる。

 前・土祭が初めて七井で催されることを踏まえ、町教委は「地名の由来を知ることが出発点」と指摘。担当者は1986年の町史編さん資料を基に9月、七井在住の県考古学会前会長橋本澄朗(はしもとすみお)さん(72)と共に現場を歩いた。

 瀧の井、蟹澤(がにさわ)の井には地元が付けた表示版があるが、そのほか五つのうち四つには水もなくなっており、地形などから確認した。

 町教委などによると、七つはいずれも湧水。台地が終わる崖から湧く「段丘崖線湧水型(だんきゅうがいせんゆうすいがた)」が見られ、周辺に集落があった。

 生活用水、農業用水として使われたとみられ、橋本さんは「冷い湧水をいったんためて使うため池かんがいが行われたのでは」とみる。古来の井の付く地名の特徴を考えると「七井の地名は鎌倉時代には成立していた可能性がある」とした。

 現在の七井の集落は、七つの井戸があるエリア南で、小貝川、小宅川、大羽川に囲まれた場所が中心。戦国時代、久下田城を拠点にした武将水谷(みずのや)蟠龍(ばんりゅう)が七井近隣を攻めたことから、橋本さんは「地元に危機感があり、川に囲まれた位置に集落が移ったのだろう」とした。

 こうした動きについて、担当者は「地域にとって大事な流れ。七井の地名を知ることは、この地が開かれた歴史を知ることになる」と話している。(問)町中央公民館0285・72・3101。