【動画】倉田洋二さんの本紙インタビュー

 生き残った者の責任として慰霊碑を守り続ける。

 陸軍宇都宮第14師団が終戦を迎えた南方の島国パラオ。日米の激戦地だ。

倉田洋二さん

 幼少期を那須で過ごした倉田洋二(くらたようじ)さん(87)は南洋庁職員として10代半ばでパラオに渡った。

 戦況が悪化した1944年、現地召集され、第14師団配下の連隊に組み込まれた。

 連隊約1200人の大半が玉砕したアンガウル島戦で左半身に重傷を負い、参戦できなくなった。「仲間が次々と倒れているのに…」と無力感にさいなまれた。捕虜として敵兵の手にも落ちた。

 仲間たちに負い目を感じていた。東京都職員を退職後の96年、2度目のパラオ移住へと駆り立てられた。

 現地の開発に伴い、慰霊碑20基余りが撤去されかねなかった。資金集めに奔走し、移転を実現させた。

 この年末年始は、病気療養のため東京の自宅で過ごす。年明け、パラオに戻り、台風で壊れた慰霊碑の修復に力を注ぐつもりだ。

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 宇都宮市西川田町、自営業篠原直人(しのはらなおと)さん(31)は、パラオの戦跡調査に取り組んでいる。

篠原直人さん

 第14師団などに関心を持ち5年前、パラオの倉田さんの元へ押し掛けた。

 初めは困惑した倉田さん。が、ゼロ戦の残骸を歩いて探す粘り強さ、これまで8回も足を運ぶ熱心さに目を見張った。

 50歳以上の年齢差を超え、「思いを継いでくれる不言実行の青年」。

 篠原さんは現地住民や兵士遺族への聞き取りもする。不時着したゼロ戦のパイロットの身元を68年ぶりに突き止め、遺族を慰霊の旅に導いたこともある。

 「主義主張を超えて歴史に学ぶことが戦禍を繰り返さないために重要」

 一人一人の兵士の生きざまを記録として残す作業に情熱を傾けている。

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 宇都宮大空襲でも「継承」が始まっている。

 45年7月12日。宇都宮市鶴田町、大野幹夫(おおのみきお)さん(82)の住まいはそのころ、市中心部にあった。

大野幹夫さんと大金美知子さん

 警防分団長だった父が大空襲で死亡した、との報が入ったが、13歳の大野さんは悲しみを感じない。その後、死亡は誤り、と知らされてもうれしさは感じなかった。「人間らしい感情を奪うのが戦争だ」

 15年前から、そうした体験を紙芝居にまとめ小学校で子どもに伝えている。

 「語り継いだ相手がさらに誰かに語り継ぐ。そうでなければ本当に語り継いだことにはならない」

 1日訪れた豊郷中央小。紙芝居で伝える役割を初めて、地元の読み聞かせボランティアに委ねた。

 受け継ぐ活動の中心となった豊郷地区地域教育協議会委員の大金美知子(おおがねみちこ)さん(66)は思いを巡らせている。当事者の話を聞いた子どもが自ら考え、また当事者とやりとりする。「そんな仕組みができないか」。継承への模索だ。