【動画】秋草鶴次さん、高雄市郎さんの本紙インタビュー

 ぐにゃり。

 不自然に片足が沈む。薄暗い地下壕(ごう)。横たわっていた死体を踏んだ。

秋草鶴次さん

 どうしようもなく飢え、体に巣くったノミやシラミまで口に入れた。

 日本本土から1千キロ離れた太平洋上に浮かぶ硫黄島。戦争末期、おびただしい数の命が奪われた陸上の激戦地だ。

 少年兵として極限を生き抜いた足利市島田町、秋草鶴次(あきくさつるじ)さん(87)は、その体験を新書「17歳の硫黄島」に書き記した。

 出版から8年。全国各地で講演を続けている。

 語るたびに散っていった仲間を思い出す。重傷を負い、もだえ苦しむ同輩。「おっかさーん」と叫んで自決した戦友。何度講演しても、涙を止められず声が詰まる。

 「自分もやっぱりあの時、死ぬべきだったんじゃないか」。悔恨するように、自問を繰り返している。

 どんなに言葉をつづっても、どんなに体験を話しても、答えを出せずにいる。

◇ ◇ ◇

稲葉一男さん

 1945年8月下旬、フィリピンのセブ島。上三川町大山、稲葉一男(いなばかずお)さん(94)は、ジャングルで追い詰められていた。

 8月15日、既に日本は無条件降伏を求めるポツダム宣言を受諾していた。その情報は届いていない。

 米軍陣地に飛び込み爆弾を仕掛ける「切り込み」では、敵兵の機関銃が乱れ飛ぶ中、何とか生き延びた。食べ物を求めて民家に忍び込み、抵抗する現地の住人を仲間が手に掛けた。食料はもう尽きている。

 このまま野垂れ死にして、うじ虫に食われるか。それよりは海に行きたかった。「川で自爆すれば流れ着く…」

 手りゅう弾を取り出すと、不意に妻の姿が目に浮かんだ。出征前夜、「片手でも片足でも帰ってきて」とすがりついた。自爆を思いとどまった。

 終戦を知ったのは、その1週間後のことだった。

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高雄市郎さん

 70年前に撃ち抜かれた左脚の太ももは今も、ちくちくと痛む。

 「ちくしょう」。那須烏山市志鳥、高雄市郎(たかおいちろう)さん(93)は、南方での惨めな思いが頭をかすめた。

 44年7月。ビルマ(現ミャンマー)からインド北東部攻略を目指したインパール作戦は過酷な撤退が続いていた。

 3週間で終わるはずだった作戦は、開始から4カ月が過ぎていた。泥水を沸かし雑草を入れて飢えをしのぐ。伝染病がまん延して、一人また一人と倒れていった。

 考える順番では、「弾に当たって死なない」より「食う」が先。

 日本人同士なのに別の隊から食料を強奪する、敵兵の死肉を食らう、といった話も横行した。

 「俺らのせがれを殺して、おめえは帰ってきやがった」。必死で復員したのに、慰問した遺族からののしられた。

 人間を人間でなくしてしまうもの。戦争の本質が骨身に染みている。