【動画】大橋晧佑さん、高橋久子さん、花井覚さんの本紙インタビュー

 この夏、知人に頼まれ、初めて戦争体験の講演を引き受けた。

大橋晧佑さん

 栃木市川原田町、大橋晧佑(おおはしこうすけ)さん(86)は17歳の夏、中国東北部の満州にいた。14歳で満蒙(まんもう)開拓青少年義勇軍に入り、のちに陸軍にも所属した。

 そして、シベリア抑留。重労働、飢え、寒さにさらされた。仲間が死んでも、凍った土に埋葬もできず、雪をそっとかけてやることしかできなかった。

 戦後、日本は高度経済成長を経験し、大きく変わった。高校野球の季節が巡るたび、「今の人は幸せだ」と思う。

 「戦争のことなんて、話しても、きっと分かってもらえない」と考えてきた。

 なのに、講演を終えると、参加者から「もう少し話を…」と請われた。

 「今の人」との距離が縮まったと感じた。熱を帯びた話は尽きず、あっという間に1時間を超えた。

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 中学生8人の作文が、下野市祇園5丁目、高橋久子(たかはしひさこ)さん(81)に届いた。広島で感じた思いがつづられている。

高橋久子さん

 高橋さんの思いをきっかけとして、市が初めて、8月の広島平和記念式典に中学生を派遣していた。

 1945年8月6日、12歳の時、広島で被爆した高橋さん。「年を取って式典に出向くこともままならない」。そんな状況を市が聞き、「原爆」を次世代に伝える派遣につながった。

 あの日の被爆。両手の皮が垂れ下がり、爆心地近くにいた父の骨片と印鑑だけが戻ってきた。仕事や結婚で差別される被爆者を目の当たりにし、自身は両腕のケロイドを気に病み、長袖しか着られない。隠し続けた。

 移り住んだ栃木で、かつて近所の人から、「原爆で大変だったでしょうけど、もう忘れたでしょ」と言われた。

 「一生消えるはずのない記憶なのに、口を開かなければ伝わらない」。そう思い知らされ、8年前から講演会などで語り始めた。

 今、中学生の作文が宝物になっている。

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 「自分の苦労話などするものではない」と考えていた。

 今秋、真岡市上大田和、花井覚(はないさとる)さん(95)は、母校の小学校で初めて自身の戦争体験を語った。

花井覚さん

 21歳の時、出征し、騎兵隊の一員としてビルマ戦線のインパール作戦に参戦したこと。仲間は次々に殺され、乗っていた馬も飢え死にしたこと。無数の死体が転がる道を、2カ月かけて引き返したこと。

 子どもたちの真剣な表情に目を見張った。「子どもたちに不戦の心が芽生えたに違いない」と思えた。

 戦争の記憶を短歌にして心を落ち着かせる。殺戮(さつりく)、慟哭(どうこく)。そんな言葉が並ぶ歌を集めたメモに「灰色の青春」と題を付けた。「子どもたちには青春を謳歌(おうか)してもらいたい」

 講話をこう締めくくった。「戦争という文字を辞書からなくしてください」