南方(下) ■ みじめな戦争 巻き込むな

 井手口義雄さん(89)=那須塩原

 波間が見えなかった。

 戦艦、巡洋艦、駆逐艦-。1944年6月、サイパンの青い海は米艦隊の黒い影に覆われていた。猛烈な艦砲射撃が島を揺らした。

激戦地サイパン島を生き抜いた体験を語る元落下傘部隊の井手口義雄さん

 海軍の落下傘部隊だった井手口義雄(いでぐちよしお)さん(89)=那須塩原市住吉町=は同15日、上陸した米軍への夜襲部隊に組み込まれた。

◇ ◇ ◇

 米軍の照明弾で、海岸線は「野球のナイターのような明るさ」。奇襲にならなかった。

 「進め、進め」

 隊長は意に介さず声を張り上げた。

 米軍の圧倒的な砲爆撃に、乱れ飛ぶ機関銃の弾。こちらの手元には拳銃しかない。土砂が舞い上がるたび、仲間が吹き飛んだ。

 「これは死ぬために前進しているのか」

 意識を失い、おびただしい遺体の中で目を覚ました。「死体だと思われて助かったんだ」

 水際作戦が失敗した日本軍は1カ月も持たずに玉砕し、島は陥落した。敗残兵はジャングルに潜った。


 「横綱に序の口が挑むようだった。日本は勝てないと分かったはずなのに戦争を続けた。死ななくていい兵が死んで、市民まで犠牲になった。ふざけるなって」


 米軍は島に航空基地を設け、日本の本土空襲を本格化させた。林間からその機影を見送るしかなかった。

◇ ◇ ◇

 米軍の掃討戦。井手口さんは、戦車砲の砲撃による破片で背中を裂かれ、火炎放射器で胸を焼かれた。

 「おっかあ万歳」

 観念した戦友は大切な人の名を叫び、散っていく。

 飢餓との戦いは人間を獣に変えた。米陣地から死と隣り合わせで盗んだ残飯。その戦利品をめぐって、仲間が殺し合いを始めた。

 密林の苦闘は1年以上続いた。民間人1万2千人を含む5万5千人の日本人が犠牲となった。


 「あのみじめさが、どうやっても今の政治家や若者に伝わらない。それが歯がゆくて、歯がゆくて。人間らしい死に方もできなかった戦友の子孫を、絶対戦争に巻き込まないでくれ」




 ■いつ死ぬか分からない

 小野源治郎さん(93)=佐野

 陸軍第14師団宇都宮第59連隊として1944年4月にパラオへ出兵。本県出身者が玉砕したアンガウル島の守備に就いた。米軍上陸の2カ月前、上官に付き添って本島へ移動した。

 「いかだに爆薬を積んで敵艦に突っ込もうとしていた。なぜあんなバカな戦いをさせたのか。一緒に宇都宮を出た仲間はアンガウルで散った。隣で寝ていた戦友も翌朝には病気で冷たくなっていた。誰がいつどう死ぬか誰も分からないんだ」




 ■雷に震えた夜の海

 西谷三七郎さん(93)=宇都宮

 1943年1月、ティモールへ渡航中、敵潜水艦の魚雷で輸送船団が壊滅。ジャカルタ刑務所にも収容され、絞首刑の恐怖を味わった。

 「夜、甲板でいつ命中するか分からない魚雷に震えていた。爆発のたび、数え切れない仲間が暗い海に沈んだ。軍隊では病気にかかっても『お前の命は一銭五厘。やる薬などない』と殴られた。人間扱いされない。自分を、人さまを大事にできる世であってほしい」