特攻 ■ 「親孝行」兄の願い散る

 小栁荘さん(84)=芳賀町出身


 父母上様 永(なが)い間お世話様になりました。私も未(いま)だ十九歳の若輩でこの大空の決戦に参加出来る事を、深く喜んでおります。

 私は潔よく死んで行きます。


 塩田寛(しおたかん)さんは1944年10月26日、フィリピン・レイテ島沖で神風特攻隊として戦闘機ごと空母に突っ込み、戦死した。19歳だった。

特攻隊で出撃し、戦死した兄(写真)の思い出を語る小栁荘さん

 「遺書を読むといつも涙が出て、最後まで読めんです」。6歳上の兄を思い、弟の小栁荘(おやなぎさかん)さん(84)は新潟県加茂市の自宅で目を潤ませた。

 兄弟は旧祖母井町(現在の芳賀町稲毛田)生まれ。寛さんは宇都宮中(現宇都宮高)4年で海軍飛行予科練習生(予科練)を志願した。飛行機乗りになれば、死ぬ覚悟をするのは当たり前という時代。反対する両親を説得した。

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 神風特攻隊が初めて編成されたのは44年10月20日。寛さんは最初の「神風」13人の1人だった。

 編成当日、海軍報道班が隊をとらえた写真が残る。「特攻生みの親」とされる大西瀧治郎(おおにしたきじろう)中将と水杯を交わす隊員。そこに伏し目がちに直立する兄が写っている。

 その表情に、遺書にあった「喜び」は見いだせない。「覚悟はあっても、喜び勇んで出撃はできなかっただろう。特攻に行けば、必ず死ぬのだから」。荘さんは心中を推し量る。撮影の6日後、兄は戦死した。

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 宇都宮市内の下宿先から帰る際には、お土産にお菓子を買ってきてくれる優しい兄だった。遺書には両親、郷里への未練もにじむ。

 故郷の兎(うさぎ)おひしあの山、小鮒つりしあの川

 皆懐しい想出ばかりです。然(しか)し郷土の父母上様にお別れするにあたりもっと親孝行がしたかった。そればかりが残念です。


 若くして特攻に散った兄。「戦争は絶対駄目だ。戦争は社会を背負う若い世代が犠牲になる。そんなことをしていれば、国が滅びる」。兄の死で、荘さんが思い至った教訓だ。



 ■偏った教育影響大きく

 水谷郷さん(91)=宇都宮

 陸軍少年飛行兵に志願し、整備兵として朝鮮(当時)・泗川(しせん)飛行場にいた1945年春、陸軍の航空特攻隊である振武(しんぶ)隊の出撃に立ち会った。

 「少年飛行兵は特攻隊に選ばれると名誉に思った。現在の高校1年生ぐらいで陸軍の学校に入り、軍隊教育を受けたのが大きい。本も新聞もなく、軍隊生活だけ。偏った教育が何をもたらすか。幅広く学ぶ大切さを若い人たちに伝えたい」




 ■名ばかりだった志願制

 柴田昭三さん(87)=栃木

 1944年、海軍飛行予科練習生(予科練)となり、石川県小松市の小松海軍航空隊に入った。45年7月、17歳で特攻隊に選ばれたが、出撃せず終戦を迎えた。

 「特攻隊は志願制だが、それは名ばかり。全てが上官から言われるままだった。個人としての夢や希望は持てなかった。戦争が終わり、一人の人間として生きる大切さを知った。今の若者に、あの時代の危うさを知ってほしい」