さて作り方である。写真を写した後に俳句を付ける場合と、俳句が詠めて写真を撮る、考える場合があるが、これはどちらでもかまわず、自分の得意な方を優先させる。

 大事なのは、何を写真で見せ、俳句で言いたいかがハッキリしていること。画面と句の形がスッキリしていることだ。

 内容にドッキリさがあればインパクトを持つ。漠然と撮られた、状況を説明した写真、あれやこれやと盛り込まれ言いすぎた俳句ではイメージは広がりにくい。

 むかし撮ったお気に入りの写真、句帳に残しておいた俳句が蘇えるのも楽しみである。しかし、写真を見ながら作句すると、写真の力は強く、内容に引っ張られて説明的な句になり易いので注意が必要である。方法としては、写真にある色彩やエッセンス、撮影時の状況、乗り物のことや食べ物の味を思い出しながら句にするといい結果がでる。

 俳句は、有季定型(季語のある五・七・五)を原則としている。これは、季語の力を借りることで組み合わせに有効性が生じるからで、季語のない俳句や単に575だと標語的、写真の説明になる場合が多い。

 また、写真に桜が写っているから、俳句は無季でいいという考えもあるが、写真から俳句だけを独立させて見ると何を言っているのか不明ということになりかねない。

 上達は「多作多捨(たさくたしゃ)(たくさん撮って、作ってたくさん捨てる)」を実践することであり、慣れることも大切だ。

 (中谷吉隆(なかたによしたか)・写真家、俳号龍子)

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 作品解説 秋のお彼岸のころ、鎌倉をぶらついていて印半纏(しるしばんてん)を着た老若の一団と出会った。萩の寺として有名な宝戒寺に入っていった。境内には鳶職(とびしょく)の慰霊碑があり、しばらくして、重く静かな木遣(きや)りが耳に届いてきた。庭奥にひっそりと咲く白い彼岸花を見つけ撮った。赤い彼岸花は華やかだが、白色は静謐(せいひつ)で厳かな雰囲気があり、木遣りの音と響き合うと思った。単に「彼岸」だと春の季語で、秋は「秋彼岸」と使うことになっている。