異なる表現形態の写真と俳句だが、その時、その場での情景の一瞬を捉えるという共通点がある。写真は光を重要視し、俳句は風を詠むことは多いが、写実、写生だけではなく、心情、心象表現も可能にしている。

 しかし、写真だけでは捉えきれない、例えば、寒さ、暑さ、乾いた、湿っぽい光や気だるい空気感を表すには苦労する。何よりも香りや匂い、甘い辛いという味の感覚は無理だ。

 俳句においても、吹く風の強弱は詠めても、微妙な色合いを表すのは難しい。なにか物足りない、何か言い足りない場合があるわけで、写真に題名を付けるがごとく、俳句を付けておくと、双方の足りない部分を補ってくれる。

 俳句には季語があり、その力を借りることで、その時が、ようやく春らしく暖かみを感じる日なのか、桜は満開なのに、肌寒さを覚える花見の日かの、状況をより確かなものとして表すことが可能になる。

 写真と俳句のコラボレーションは、1+1=2の足し算から始まる。先ずは、お互いの足りない部分の補完関係を考える。しかし、双方の説明で終わってはマイナスになるので注意が必要だ。

 1+1=2以上になると、写真から受け取った印象から俳句に飛び、俳句から写真へのイメージが膨らむという、キャッチボールがなされ、連想の刺激を与え面白さがでてくる。そして掛け算(×)となれば響き合いは大きくなり作品の完成度は高まる。

 (中谷吉隆(なかたによしたか)・写真家、俳号龍子)

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 作品解説 盛夏のキャンプ場でのショットで、空には入道雲がもくもくと競り上がっていた。昼食の地鶏卵の黄身が盛上っていて俳句が浮かび、ほとんど同時に写真と句ができた。雲の峰は夏の季語で、写ってはいないが、写真と句から子どもたちの頭上にあることが想像できる作品となったと思う。そして、元気に健やかに子らが育ってくれるようにとの、願いを込めたエールを送ったものでもある。こういった作り方も可能である。