□ ラムサール条約と遊水地

 「足尾(鉱毒の歴史)と一体ですからね」

 2012年7月、ルーマニアで開かれたラムサール条約の国際会議。渡良瀬遊水地の登録の認定証授与式に出席した渡良瀬遊水池を守る利根川流域住民協議会の猿山弘子事務局長(73)は、同条約アジア担当の事務局関係者らからこう声を掛けられ、認定の背景に足尾との関連が含まれることを示唆された。

 「世界が注目しています」とも。猿山事務局長は「遊水池の歴史の重みをあらためて感じた」と振り返る。

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 足尾銅山から流出した鉱毒を沈殿させるためだったともされる遊水地は、谷中村の犠牲の上に築かれた。

 明治政府などに激しく抵抗した住民と、その運動を支えた田中正造の粉骨の訴えにもかかわらず20世紀初頭、「強制廃村」。「支援者も多くが離れ去り、最後の最後、犠牲となった住民の無念は今も子孫に残る」。ある地元住民は重い口を開いた。

 統計などによると、廃村数年前の戸数は約370戸(人口約2500人)。肥沃な土地と、淡水漁業で栄えたという。「『地域を荒廃させ、無法を強行するなら国は滅びる』と、怒りや危機感とともに正造は予見した。遊水地化はあってはならないことだった」。群馬県館林市の足尾鉱毒事件田中正造記念館の布川了名誉館長(88)はこう解説した。そして続けた。「ただ100年後の現在、田畑に戻し昔と同様に子孫に生活してもらうこともできるのだろうか」

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 今、正造なら遊水地をどうするか-。

 本州最大のヨシ原が広がる3300ヘクタールの広大な空間。絶滅危惧種を含め、植物千種、昆虫1700種、野鳥は252種が観察されている。

 谷中湖のウォータースポーツ、サイクリングも含め年間約100万人が利用する。ラムサール条約登録を受け8月、関係自治体や団体で利活用法を検討する協議会が発足し、新たな局面に入った。

 正造を、インド独立の父、ガンジーに匹敵すると評価する宇都宮大国際学部の高際澄雄教授(64)は「遊水地のあるべき姿は共生であり、彼の考えと同じ」と指摘する。その生物多様性で宝庫とされる遊水地も、実情は乾燥化で危機的な状況という。自然を周辺環境も含め再生し、その資源を元に産業の振興へ。高際教授は「真の文明の思想に沿った未来への道だ」と強調した。

 遊水地全体を野外博物館とする「エコミュージアム」構想。提唱者の猿山事務局長は「谷中村の歴史を共有し発信する。ならば正造も『いいだろう』と許すのでは」と意義を語る。同条約登録を好機と捉える一方、「重い責任を負った」と実感を口にした。

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 谷中村を廃村に追い込んだ戦前の日本は、戦争へと進み破綻した。現代社会も環境に平和、原発、格差…と問題が山積する。「正造が必要とされる時、それは危うい時代とも言える。岐路に立つ瞬間だ」(布川名誉館長)

 死の間際まで谷中村に思いを残していた、という正造。今後、遊水地がどうなるのか。国の行く末とともに、今なお案じているような気がしてならない。