□ 誕生地から 田中正造大学

 「100年以上たった今でも、煙害の爪痕は残ったままです」

 18日、第14回足尾グリーンフォーラムの一環で行われた日光市の松木渓谷をめぐるフィールドワーク。ガイド役の坂原辰男さん(61)=佐野市小中町=は、緑のまばらな山肌を見渡して語気を強めた。

 佐野市を拠点とする団体「田中正造大学」の創設者の1人であり、現事務局長。正造ゆかりの地や足尾鉱毒事件被害地のガイドをライフワークにしており、自宅から遠く離れた足尾地区や渡良瀬遊水地などにも頻繁に足を運ぶ。正造研究に関わる人の中でも屈指の行動派だ。

 「正造の思想と行動をもっと広く知ってほしい。生誕の地である佐野の人間が率先して発信していかないと」。没後100年の節目の年。「語り部」を自負する言葉の端々から強い使命感がにじむ。

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 東京電力福島第1原発事故を一つの契機に、正造の思想は時を超えて注目されている。

 さかのぼること四半世紀。1986年2月、同じく思想に共感する市民の手で同団体は発足した。活動内容は定期ニュース発行のほか、正造の言葉をメーンにしたカレンダーの制作販売、研究者らによる講演会など。「歴史的事実を学ぶだけでなく、現代の社会問題と正造をいかに結び付けるか」。今日的視点に立って県内外に問い掛けを続けている。

 谷中村で最後まで闘った正造に倣い、現地で「行動」することも重視している。鉱毒事件のガイド役を積極的に引き受けるのも、そうした考えの表れだ。

 「鉱毒被害の苦悩を肌で感じるためにも、現地を訪れることが大切」と強調する坂原さん。鉱毒事件と同じく、住民を古里から遠ざけた原発事故には憤りをあらわにする。「経済優先の国策の弊害で民衆が犠牲になる。鉱毒事件と変わらない構造に今度こそメスを入れないといけない」

 現場の住民に寄り添おうとする団体の性格は、正造だけでなく、発足のきっかけをつくり著書で「キミよ歩いて考えろ」と唱えた環境学者の故宇井純氏の影響が色濃い。事務局員の神谷光信さん(65)=群馬県邑楽町=も、自戒を込める。「住民目線で行動できなくなった時、正造大学は終わりを迎える」

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 死の直前、正造は「此処も敵地だ」と嘆いた。病状の心配ばかりで、己の闘争の行く末を案じない周囲に失望して発したとされる。

 正造の事業を継承する-。同団体が結成当時から掲げるテーマだ。事務局員の石川栄介さん(63)=小山市小宅=は、没後100年を好機と捉え、各団体の連携強化を訴える。

 足尾の植林やサケの放流事業、非戦を唱える護憲団体。渡良瀬川流域で正造の影響を受ける組織は少なくない。「運動の渦が広がれば、もっと大きな力が生まれるはず」と石川さん。「生誕地で活動する正造大学がそのきっかけをつくりたい」とあらためて意欲をにじませた。