□ 原発被害弁護団を結成 小野寺利孝弁護士

 今月10日、福島県いわき市。東京電力福島第1原発事故で避難生活を強いられている住民たちの中に、小野寺利孝弁護士(72)の姿があった。

 東電に対し、損害賠償を求める集団訴訟。弁護団の共同代表を務める小野寺弁護士は、9月の第1回口頭弁論を控え、住民との話し合いや資料作成など、膨大な準備作業に追われる。「逃げるという選択肢はなかったんですよ」。柔和な表情を崩さず、そう語る。

 さまざまな公害訴訟に携わってきた。常に、闘いの根幹に据えてきたのは「現地主義」だ。自ら現場に足を運び、被害を受けている住民から学ぶ。その中で住民の要求をくみ取り、要求実現への道筋を考える。「これを体現したのが田中正造」と強調する。

 原発事故直後、故郷のいわき市に入り、集団訴訟の弁護団結成に動いた。困難な活動へと駆り立てたのは「忸怩たる思い」。弁護士になった1960年代、富山県のイタイイタイ病や熊本水俣病など「四大公害訴訟」が次々に始まっていた。

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 自身も、群馬県の安中公害訴訟に関わり、勝利を勝ち取った。足尾鉱毒問題を含め公害闘争はそれまで、敗北の歴史を重ねてきたが「四大公害訴訟を契機に、勝利の歴史に転換した」と確信していた。

 じん肺、戦後補償、中国残留孤児訴訟にも取り組み、国などの責任を追及。理不尽な被害に苦しむ人たちに寄り添い、金銭賠償だけでなく公害などの被害を根絶する「政策形成訴訟」を手掛けてきた。

 だが、原発事故で「自負」は打ち砕かれた。「身近にあった原発に関しては、安全神話につかっていた」。かつてないほどの衝撃を受け、自らを恥じた。

 正造の言う「真の文明」が何かを改めて、自問するようになった。原子力の平和利用も「人間がコントロールできないものの利用は人倫に反する」として、脱原発の立場に変わった。

 「上野の森に『広島・長崎の火』を永遠に灯す会」代表として、毎年8月に開催している集会では、福島県の避難者も呼び、原発の在り方を考える機会にもした。

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 被害住民の側に軸足を置き、命懸けで被害住民の尊厳を取り戻すために闘った正造の姿勢を引き継ぐとともに「正造の時代の限界」を踏まえ、教訓も見いだす。「単独でたたかっても、大きな力につぶされる」。集団訴訟に向け、昨年は「原発と人権」をテーマに弁護士や科学者、ジャーナリストら専門家を集めて集会を開き、その後ネットワーク化を進めている。