自然が見つめる人間社会

科学の進歩がもたらすものは…

クリンソウ群生地に入り込んだ野生のシカ。見つめるまなざしの先には、放射能の影響を受けた奥日光の景色が広がる。中禅寺湖畔の千手ケ浜で

拝啓 トーマス・ブレーク・グラバー様

 

 「71年前、雲一つない明るい朝、空から死が落ちてきて世界は変わった。閃光(せんこう)と炎の壁は都市を破壊し、人類が自らを破壊するすべを手に入れたことを実証した」

 今年5月、現職として初めて広島市を訪れたオバマ米大統領は、演説でそう切り出し、世界中に「悪魔の兵器」との決別を訴えかけました。

 太平洋戦争末期の1945年8月6日、米軍は広島に核兵器の一種「原子爆弾」を落としました。

 その3日後。今度はあなたが長年暮らした長崎市が被爆地になりました…。爆心地はあなたが眠る墓地から約1キロ地点。想像を絶する爆風と熱波が街を焼き尽くし、その年のうちに両市で20万人以上が命を失いました。長崎の原爆はプルトニウムが原料。ウランを使った広島よりも威力が高いものでした。大量の放射線が原因となった後遺症や障害は、世代を超えて続いています。

 

 いまだに人類は核兵器開発をやめていません。1950~60年代には核実験に由来する放射性物質が地球規模で拡散しました。原発と原爆。形や程度は違えど、あなたの母国も、第二の古里も、愛した避暑地も、「原子力」がもたらす惨禍の犠牲となったのです。そして、あなたの家族も…。息子の倉場富三郎(くらばとみさぶろう)さんは長崎が廃虚と化した後まもなく、絶望の淵で自ら死を選んでしまいました。

 広島と長崎の復興は早く進みました。核燃料が少なく、放出された放射性物質の大半は半減期が短かったことが要因とされます。逆の条件の福島やチェルノブイリ原発周辺は、残念ながら早期の復興は難しい状況です。

 

 放射性物質の移動も厄介な問題です。中禅寺湖は閉鎖性が高い湖とはいえ、毎秒数トンの水が華厳の滝から大谷川に流れ出します。水生昆虫のセシウム汚染を調べる森林総合研究所によると、大谷川の虫は流入河川の虫よりも高い傾向があるそうです。湖から流出したセシウムが下流を汚染することを示すデータの一つかもしれません。東京湾の海底堆積物の濃度も、河口部が沖合に比べて高いのですが、これは関東平野に降ったセシウムが川で運ばれてきたためだと考えられています。

 汚染された中禅寺湖を眺めていたら、原爆投下など、かつての悲惨な出来事に思い至りました。科学の進歩と並走するように、人類は過ちを重ねてきたのかもしれません。そんな私たちの行いを、美しい自然が静かにずっと見つめているような気がします。




グラバーメモ

■息子の悲劇的な最期

 倉場富三郎(くらばとみさぶろう)(1870~1945年)は実父グラバー以上に長崎の発展に尽くした。しかし悲劇的な最期が影響してか、その功績に光が当たることは少ない。

 実母は加賀(かが)マキという日本人女性で、7歳のころから父とその妻ツルの下で育ったとされる。学習院大卒業後は米国で生物学、特に魚の研究に励んだ。帰国後は長崎実業界の中心として長く活躍。蒸気トロール船漁業を日本に初めて導入するなど水産業発展に貢献した。父グラバーと中禅寺湖を訪れ、釣りを楽しんだ記録も残る。さらに国際社交クラブを設立し、雲仙を国際避暑地として有名にするなど、国籍を超えた交流の推進役となった。

 そんな努力とは裏腹に戦争が始まると、同じく英国人の父を持つ妻ワカとともに憲兵隊の監視下に。半ば強制される形で旧グラバー邸を離れた。ワカに先立たれ世間からも孤立する中で原爆に被災。終戦の11日後、自宅の洋館で自ら命を絶った。グラバー関連史料を多く収蔵する長崎歴史文化博物館の岡本健一郎(おかもとけんいちろう)研究員(41)は「晩年の暗いイメージが先行し、どうしても取り上げられにくい人物のようだ」と指摘する。