古里で高まる顕彰の機運

港町育ちの「スコティッシュ・サムライ」

スコットランド北東部もようやく春の気配。港町アバディーンにあるグラバー・ハウス周辺にも柔らかな風が吹き抜けた

拝啓 トーマス・ブレーク・グラバー様

 

 日の光に反射して、花こう岩で造られた建物一つ一つがきらきらと輝きます。カモメが舞う海岸には美しい砂浜。小高い丘に立って中世から続く街並みを一望すると、「黄金の砂に横たわる銀色の都」の愛称に違わぬ光景に心を奪われました。

 ここは、スコットランド北東部の港湾都市アバディーンです。湿気を感じさせず、真夏の最高気温も20度以下。この街で幼少期を過ごしたあなたが、日本で避暑地を求めたのもうなずけます。

 マス釣りが有名で、北海に注ぐ川沿いの民家を見たら、懐かしさがこみ上げるのではないでしょうか。通称「ブレーヘッド・コテージ(丘の上の館)」。ご両親の晩年の住まいは今も残されています。1867年の最初で最後の里帰りの時に植えたという日本産のクルミの苗木は、目を見張るほどの巨木になりました。

 日本とは対照的に、あなたを知る人は少し前までは全くいませんでした。若くして故郷を離れ、遠く長崎に骨を埋めたのだから無理もありません。しかし1990年代前半、偶然にも奥日光での足跡が世に知られるようになったのと時を同じくして、アバディーンなどでも注目され始めたのです。

 ある本がきっかけでした。タイトルは「スコティッシュ・サムライ」。英語で書かれた最初のあなたの伝記です。著者でアバディーン出身の歴史家アレキサンダー・マッカイさん(72)は「彼には侍に通じる自己犠牲の精神や美徳があり、単なる武器商人を超越した存在だった」と話します。

 本の反響はさまざまな形となりました。コテージは「グラバー・ハウス」と名を変えてあなたを顕彰する記念館になり、北に約60キロ離れた小さな漁村フレーザーバラでは、生家跡や洗礼を受けた教会にあなたの名を刻む銘板が飾られています。

 

 昨年7月、長崎に残る住宅「旧グラバー邸」が世界文化遺産に登録されました。日光の二社一寺と肩を並べる国際的な評価を得たのです。

 アバディーン市は昨年、あなたの半生やゆかりの地を網羅した観光パンフレットを初めて作製しました。そこには奥日光でマス釣りを楽しむ姿の写真も載っています。市内の海洋博物館にはあなたに関する展示コーナーが設営され、さらに数年前から閉館状態が続いているグラバー・ハウスの再公開を目指す取り組みも始まりました。

 あなたの死から100年余り。スコティッシュ・サムライの名声が故郷で確実に広がりつつあります。




グラバーメモ

■日本との縁深い居宅

 グラバー両親の居宅「ブレーヘッド・コテージ」の歴史を語る上で、日本との関係は切っても切り離せない。

 グラバーは8人きょうだいの5人目として、スコットランド北東部のフレーザーバラで生まれた。父の転勤を機に11歳でアバディーンに移り、18歳で上海に向けて出港。3年後の1859年に長崎の地を踏んだ。

 両親がコテージに腰を据えたのは64年。長崎で財をなした五男の援助で購入したとの説もある。グラバーが手引きした日本人の密留学生の寄宿先となり、後に米国でのワイン醸造で成功した長沢鼎(ながさわかなえ)の滞在が有名で、明治政府で活躍した伊藤博文(いとうひろぶみ)や井上馨(いのうえかおる)が訪れた可能性も指摘される。

 グラバーと縁が深い三菱重工業が1997年、コテージを買い取って地元の財団に寄贈、記念館「グラバー・ハウス」として整備され一般公開が始まった。アバディーン市の補助を受け、説明員が常駐していた時期もあったが、財団の財政難などで維持管理が難しくなり、ここ数年は閉館状態のまま。現在、同市や三菱重工業などを交え、再公開に向けた調整が進められている。