「発祥の地」ファン巡礼

遺産カワマス 野性味取り戻す

フライフィッシングの聖地「湯川」。緑の葉も、しっとりと濡れた解禁日の朝

拝啓 トーマス・ブレーク・グラバー様

 

 ここ湯川は「日本のフライフィッシング発祥の地」。あなたが国内で最も早い時期にフライ(西洋式毛針)を使う釣りを楽しんだから、そう呼ばれています。フライ愛好家が憧れる「聖地」でもあり、今季の釣りが解禁された5月1日には、待ちわびたファンが早朝から糸を垂らしました。

 大自然の中を流れる緩やかな渓相は、欧州のマス釣り場をほうふつとさせます。あなたもこの地にたたずみ、フライの本場である故郷スコットランドの川を思い出していたのでしょうか。

 

 水中ではあなたが放流したカワマスの子孫が元気に泳いでいます。今では自然繁殖するようになり、野性味を取り戻したともいわれています。

 放流100周年の2002年が大きな転換点でした。資源量維持を目的に、この年から湯川ではキャッチアンドリリースが必須になり、養殖魚の放流も行われなくなったのです。自然界で育つようになったカワマスは、釣り人好みの強い引きや立派なヒレを持つようになりました。最近では、餌を目掛けて水面から飛び出す「ライズ」が以前よりも目立ちます。6月には餌となる水生昆虫モンカゲロウの大群が広がり、あちこちでライズが確認できます。フライ愛好家には夢のような光景です。

 2012年にはカワマスのセシウムも100ベクレルを超えましたが、その後はほとんど検出されていません。

 

 湯川は国保有の研究水面に位置付けられています。釣り人は「試験研究の協力者」として認められていますが、一部には自然保護が叫ばれている川に入ることを快く思わない人もいるようです。

 2010年には川沿いの踏み荒らし防止を理由に、下流域の禁漁案が浮上。しかし釣り人有志が署名集めなど反対運動を展開し、結果的に禁漁は見送られたことがあります。釣り人の湯川への愛着の強さと、厳しい立ち位置を物語るエピソードでしょう。

 自然を大切に思うのは釣り人も同じです。有志による湯川の清掃は15年近く続いていますし、植生保護の取り組みにも協力しています。「私たちはグラバーさんの遺産で遊ばせてもらっている。この特別素晴らしい環境を100年後に残すのが僕たちの使命だ」。湯川釣り歴41年、「湯川の番人」こと梅沢盛雄(うめざわもりお)さん(67)は、そう強調しました。

 カワマスだけではありません。湯川を愛する釣り人の精神も、この地で生き続けているのです。




グラバーメモ

■カワマス放流の真相

 湯川のカワマス放流の真相が広く知られるようになったのは20世紀末。私財を投じて放流を主導したグラバーの名は、1世紀近くも歴史に埋もれ続けていた。

 日英同盟が結ばれた1902年。グラバーは英国領事館の通訳助手だったハロルド・パーレット(1869~1945年)に事務手続きを任せ、米国からカワマスの卵を輸入。荷受人は当時の駐日英国大使が務めた。外交官特権で手続きの簡略化を狙ったとみられる。ふ化した稚魚は02年5月に放流されたが、同年9月の台風で全滅してしまった。それでもグラバーは諦めず、2年後の04年に卵を再輸入。今度は無事成長し繁殖を始めたとされる。

 いつからか、湯川のカワマスには「パーレットマス」との愛称が付けられた。56年にはパーレットの息子が、父の功績を記した記念碑を中禅寺湖畔に建立。その影響もあってか、放流はパーレットの事業とする評価が定着した。著書「日光鱒釣紳士物語」で放流の経緯を詳述した日光近代史研究家の福田和美(ふくだかずみ)さん(67)は「放流当時、湖畔の人家はわずか16軒。小さな村に生まれたパーレット伝説が定説になるのはわけもないことだ」と分析している。