あの日の教訓 胸に刻む

類を見ぬ「巨大治山」

冬晴れの日。斜光を浴びる男体山の陰影が強調される。奥日光の長い歴史を物語るかのように、その山肌には深く「薙」が刻まれていた(ヘリから撮影)

拝啓 トーマス・ブレーク・グラバー様

 

 きのうは3月11日、昼下がりの中禅寺湖畔は普段と変わらず、穏やかな時間が流れていました。

 ちょうど5年前のあの日も金曜日でした。

 2011年3月11日午後3時46分。栃木県も最大震度6強の揺れに襲われ、4人が命を落としました。重軽傷者139人。住家被害は全半壊2379棟。私たちの心には、今も地震の爪痕が残されています。

 日光は県史に残る地震に何度も被災しました。1683年の日光地震、1949年の今市地震が有名です。2013年2月、湯元地区で震度5強の揺れが観測されました。また、体感できない微小地震も非常に多い地域です。宇都宮大の伊東明彦(いとうあきひこ)教授(地震学)は「日光で地震が多い理由は解明されてないが、微小地震は近くの火山の影響で生じる、地殻の不均質構造が原因と推測できる」といいます。

 

 奥日光では土砂災害リスクも無視できません。

 1902年9月。台風の豪雨で男体山に土石流が発生。麓の民家などを飲み込んだだけでなく、中禅寺湖に津波を起こし、大谷川流域に甚大な洪水被害が出ました。湖畔や下流域の町並みは一変し、日光の象徴の神橋も流出。春にあなたが湯川に放流したマスの稚魚も全滅したと伝わっています。

 悲劇を繰り返さぬよう、男体山では半世紀以上も前から、世界に類を見ないほどに莫大(ばくだい)な経費と時間を掛けた治山工事が行われてきました。

 男体山には山肌が崩れて出来た谷が約30カ所もあり、薙刀(なぎなた)でえぐったような形から「薙(なぎ)」と呼ばれています。土砂災害の恐れが大きい場所なので、国や県が協力して土砂を止めるダムを造り、傾斜を緩めて緑化するなどの対策を進めています。

 地質が脆(もろ)い男体山の崩れは、自然の摂理です。土砂流出に終わりがなく、工事は半永久的に続くともいわれています。現場の地形や気候は厳しく作業員の負担も大きいですが、麓の暮らしや登拝者を守るという使命感が彼らを支えています。

 

 私たちが気をもむのは日光白根山です。あなたが初めて奥日光に来た1889年以降に噴火して以来、噴火はありませんが、前兆現象は観測されたことがあります。

 おととしには長野、岐阜県境の御嶽山(おんたけさん)(3067㍍)が噴火。数多くの犠牲者が出て、火山防災のあり方が見つめ直される契機になりました。

 残念ながら今も人類には災害を予測するすべがありません。「天災は忘れたころにやってくる」という警句があります。震災5年のきのう、私たちはあの日の教訓をあらためて胸に刻みました。




グラバーメモ

■日光白根山の火山防災

 栃木・群馬県境の日光白根山は、気象庁が監視を強める全国47の「常時観測火山」の一つ。関東以北の最高峰、ロープウエーで山頂近くに行けることもあり高い人気を誇る一方、火山防災の取り組みの遅れが指摘される。

 現在は静穏だが、過去約6千年間に少なくとも6回噴火したといわれる。19世紀以降は1872年と73年、89年に小規模噴火があった。1952年に噴煙と鳴動が発生。93~95年には直下で「火山性微動」が観測された。マグマや水の動きを示し、噴火兆候の一つとされる。

 しかし地元の関係機関などによる「火山防災協議会」は一昨年に発足したばかり。被害想定や防災対応を盛り込む「火山ハザードマップ」と「噴火警戒レベル」は未整備。47火山で両方導入していないのは9火山だけだ。関係者によると、被害想定の規模が県ごとに異なり、責任や役割分担が曖昧だったことが遅れの一因と考えられるという。大噴火の実績がないことも影響したとみられる。

 同協議会事務局によると、2016年度からハザードマップ作成を始め、噴火警戒レベル運用は16年度早々に始まる予定。