開山1250年 偉人に光

戦場ケ原伝説 今も色あせず

雪に覆われた中禅寺湖南岸の阿世潟。夜、北極星を中心に光跡を描く北の空を仰ぐ(約30分露光)

拝啓 トーマス・ブレーク・グラバー様

 

 空気が澄み渡る冬の奥日光の夜、息をのむほどに美しい星たちが満天に広がります。

 北極星は地球と約430光年離れているといわれます。つまり、私たちに見えるのは約430年前の北極星が発した光だそうです。

 気の遠くなるような昔のことに感じると思います。でもここでは、そのはるか以前にあった物語が今も色あせずに語り継がれています。

 最も有名なのは「戦場ケ原神戦譚(たん)」でしょう。

 太古の昔、男体山と赤城山(群馬県)が中禅寺湖の所有権をめぐり対立。それぞれ大蛇と大ムカデに姿を変えて戦い、大蛇が弓の名手・猿丸(さるまる)の助けで勝利したというものです。戦の場所が「戦場ケ原」、勝負が決した「菖蒲ケ浜(しょうぶがはま)」などと、奥日光の地名の起源としても有名です。スコットランドも多くの神話が残る国ですから、あなたも親しみを持って聞いてくれていたのかもしれませんね。

 

 ことしは日光にとって歴史的な1年です。超人的な伝説とともに語られる僧勝道上人(しょうどうしょうにん)が、日光を宗教上の聖地とする礎を築いてから、ちょうど1250年の節目に当たるのです。勝道が主に修行を積んだ奥日光でも、ゆかりの寺社によって功績をたたえるさまざまな記念事業が行われます。

 柱は、日光山輪王寺の悲願だった「千手堂(せんじゅどう)」の再建。あなたが訪れていた明治期には、中禅寺湖西岸の千手ケ浜にあったお堂です。勝道ゆかりの霊場ですが、老朽化で半世紀以上も前に撤去したままとなっていました。勝道の伝説にも関係する吉祥天(きっしょうてん)立像の初公開なども予定されています。

 

 地元も受け継いだ伝説を大切にしています。勝道の時代に始まった「船禅頂(ふなぜんじょう)」(8月4日)は、阿世潟(あぜがた)にほど近い上野島(こうずけじま)や千手ケ浜などの勝道ゆかりの霊場を巡拝するもので例年大勢が参加します。室町時代から続く「武射祭(むしゃさい)」(1月4日)は、神戦譚に基づき弓を赤城山方面に放つ新年行事で、無病息災を願う人々が足を運びます。3年前には神戦譚にちなんだ黄金の大蛇像が日光二荒山神社中宮祠(ちゅうぐうし)の境内に設置されました。ことし3月には日光で勝道や神戦譚にまつわる市民劇も上演されるようです。

 地元の中宮祠地区では近年、住民でつくる「昔語りの会」が歴史の継承や発掘に力を入れています。事務局の小島喜美男(こじまきみお)さん(66)は「新たな魅力を発信し地域活性化につなげたい」と熱っぽく語りました。




グラバーメモ

■勝道にまつわる伝説

 「日光開山の祖」である勝道上人(しょうどうしょうにん)(735~817年)については、ゆかりの社寺が集中する日光山内だけでなく、奥日光を舞台にした伝説も多く残っている。

 芳賀郡出身の勝道は766年、男体山頂を目指し、麓に拠点の四本龍寺(しほんりゅうじ)を建立。782年に宗教者として初めて登頂を果たした。2年後、中禅寺湖北岸に祠(ほこら)を祭り、神仏習合思想に基づく神宮寺(じんぐうじ)を建て、それぞれが日光二荒山神社中宮祠と、日光山輪王寺の別院・中禅寺のルーツになった。

 中禅寺湖東岸の「歌ケ浜」は、天女が舞い降りて歌や踊りで勝道を慰労した地で、湖の波の上に現れた「波之利(はしり)大黒天」が修行中の勝道を助けたとの伝承もある。中禅寺の本尊「立木観音立像」は、勝道が西ノ湖で出会った金色の千手観音に感激し、その姿を根が付いたままの立木に彫った像とされる。

 ことし開山1250年に当たり、中禅寺の僧侶人見良典(ひとみりょうてん)さん(58)は「勝道上人の功績は当時、弘法大師空海(くうかい)にも伝わったほど。地元の英雄が顕彰される年になれば」と期待する。